浪江町大字苅宿


カリヤド。
ここが私の住んでいた所です。
逆に読むと
ヤドカリです。
今、私はほんとうに
ヤドカリになってしまいました。
ここで四軒目。
まだましなほうです。
カリヤドに帰れるのはいつの日か
よく考えてみると
カリヤドも仮の宿だったのです。
人間は一生です。
いのちある者はすべて一生です。
とすると
生まれた所も
古里もすべてが
仮の宿なのです。
でも 苅宿という所は
よい所でした。
だから私は幸せでした。
ヤドカリが早く
カリヤドに帰れますように
今日は祈りました。
私のために。
みんなのために。




眠れぬ夜に


眠れぬ夜に
ふと思ったのだ。
何故私は今ここにいるのだろうと
古里を離れて早くも二年になる。
何故ここにいるのだ。
家があるではないか 自分の家が
でも帰れないのだ。
私ばかりではないのだ。
約十六万人もの人々が
後ろ髪を引かれる思いで
古里から逃げ出したのだ。
目には見えない
臭いもしない
放射能のために。

音楽でも聴こうか
それとも本でも読もうか
布団の中で考える。
同級生の顔が浮かんでくる。
親戚の者たちの顔が
息子の顔が 弟の頗が
老人ホームにいる母の顔が
次から次と
浮かんでは消える。
時計を見る。
午前二時三十分。
慌てて安定剤を飲む。

少しだけは眠れたのかもしれない。
ボーッとはしているが。
朝刊に目を通す。
わが町は一体どうなっているのだろう。
「浪江町が区域見直し最終案」
私の家は居住制限区域。
川向こうに見える家は
帰還困難区域。

肩からスーツと力が抜けて
テーブルの前に座り込む。




詩集「荒野に立ちて―わが浪江町」  根本 昌幸 著 
               
                      コールサック社 刊

 著者の根本昌幸さんは福島県浪江町の生まれ。東日本大震災と福島原発の事故以来、避難生活を余儀なくされている。ご自宅は福島第一原発の十キロ圏内。今も「居住制限区域」に指定され、帰還の目処がたたない状況です。

 この詩集「荒野に立ちて」は、ふるさと、浪江町に寄せる思いの凝集した詩集です。やさしい言葉の波間から、ぎりぎりの思い、感情が伝わってきます。根本さんは、詩人としての自分というよりも、被災者としての自分に向けて言葉を紡いでいるのだと思います。被災者としての自分にくり返し語りかけることによって、自分の向こうにいるおびただしい被災者たちに届く言葉を模索されているようです。

 やさしく穏やかな言葉にこそ、私たちは立ち止まらなければならないのかもしれません