詩集の冒頭に東日本大震災の被災地でのボランティアの体験をベースにした詩がいくつかあり、関心をわしづかみにされてしまった。震災をテーマにした詩はいくつか読んだことがありますが、この詩集の詩はそのどれとも違っていました。それは自分と人と、情景とを等身大のものとしてとらえています。深刻ぶる身振りとも無縁だし、読む僕らをたじろがせるような観念とも無縁で、いわばむき出しのいのちとして、いのちの景色に向き合っている。無力ないのちとして、ただドボドボと涙をこぼすしかないのだけれども、僕たちが今いる場所とはほんとうはそのような場所ではないのか。報道や評論の言葉は多くの言葉をついやして、実は一番大切なこのことを伝えられていないのではないか。そのことを思いました。
詩集の二部では、妻と生まれたばかりのシオンちゃんと三人の暮らしが点描されている。作者の視線は柔らかくやさしく、いのちという光を手のひらで押し包むように言葉は重ねられている。言葉は投げかけるものでも受け止めるものでもなく、むしろそのままで自らがひとつのいのちであることを欲していうかのようです。
家族をうたう言葉はまたひとつのいのちとして、そとへ、無数のいのちの場へと向かっていく。そこは言葉の外、現実と呼ばれる場所だ。幼子が傷つき成長するように、作者の言葉もまた傷つかねばならないし、詩は変わらねばならない局面を迎えるかもしれない。しかしそのようにして展開するのもまたいのちのありようなのだと思います。
(下前)
子どもの黄色いクツ
福島の震災ボランティアへ行った
防護服無しでは テレビ局も立ち入らない
原発から40km地点の小名浜海岸
瓦礫の山に 呆然とし
TVプログラムを見るように
現実感は湧かなかった
車を降りて無残な建築物の
写真を撮った
そこで初めて
現実が僕に訪れた
瓦礫の下に
小さな黄色いクツを
片万だけ見つけたのだ
僕のまわりを覆っていた皮膜が破れた
ベトナムの人達が集団で
日本の被災者のために
祈っていた
彼らの故国でも そうであったように
その意味は分らなかったが
アヴェマリアの単語だけはわかり
やがて
アヴェマリアの祈りを捧げているのが聴こえ
頭を垂れ 共に祈った
多くの家々は 津波で柱だけが残され
家の中はといえば
流されずに残った家財が
時を忘れて 佇む
家の中 子供の椅子に
亡くなった子を 悼んで
泥で作ったウサギが
リボンをつけて 座らせてあった
一歳半の自分の子シオンが
“泥のウサギ”として そこに
座っていると想像すると
発狂しそうに狂おしくなり
僕は思わず 黄色い小さなクツを
思い切り抱きしめ続けた
○
堪えて
5分間車で走り
小学校の校門の前で
大声で
涙で熔けるように
泣いて 泣いて 泣いて
泣いた
それでも 避難所での炊き出しの為に
トイレの鏡の前で 笑顔の練習をした
〇
一緒に炊き出しをした
ベトナムの人たちと握手し
英語で ぽつり ぽつりと
小さな黄色いクツのことを話した
互いに 目を 瞳を 見つめ合い
涙をこぼした ドボドボと
彼らの瞳からも ドボドボと涙が滴った