〈私の詩法/テーマ〉
                        下前幸一


 三・一一から一年以上が通り過ぎた。少しピントをぼやかした視線で眺めると、以前の日常に私たちは戻りつつあるようにも思える。特に私のように関西で暮らす人間から見ると、フクシマの、ヒリヒリするような現実はとても遠い。しかしフクシマから発せられた問題は、放射能と同じ性質で、私たちのすぐそばに忍び寄ってもいる。それは臭いも、色も、熱も、音もなく忍び寄り、私たちの間に微かなしかし鋭い亀裂を走らせている。たとえばわずかに汚染された福島産の産直米、福島の野菜。産直グループで配達の仕事をしていて、言葉がどうしようもなく屈折してしまう現実を感じている。福島産を躊躇する気持ち。子どもには食べさせたくない気持ち。一方で福島を応援したい気持ち…。あるいはガレキ処理の問題。東北の復興を支援しようという政府・自治体の言い分や私たち自身にもある思いと、やはり放射能に対する不安と拒否感…。大飯原発再稼動をしゃにむに進めようとする政治の茶番と、反対する自治体、世論、そして脱原発デモ。電力不足と節電の合唱、あるいは料金値上げ…。

 カメラのレンズを例えば福島原発20km圏内にズームしてみれば、そこは高濃度に汚染された死の村。手付かずのガレキが放置された村には野生化した犬が徘徊している。防護服姿の作業員がマイクロバスで通り過ぎる。被曝覚悟の作業が今も続いている。警戒区域の外では、放射能の不安を抱えつつ、それを押し殺すように暮らす人たちがいる。子ども達が登校する街の放射線量は放射線管理区域と同レベルだという。河や海や湖の汚染は、薄らぐどころかますます深刻の度を増している。規制値を超え、出荷停止になる野菜や魚介類。廃業する農家、離散する家族、沈黙する人々。

 メルトダウンし、爆発した福島原発を起点にして、美しい福島の風景に深く広い亀裂が刻まれ、それは今現在も無音の地鳴りのように広がっている。それは無数の見えない亀裂として、人々の暮らしのただ中を走り、軋み、無数の分断を生み出している。避難している人、避難したくてもできない人、避難させたくない政府。不安をあおるなという無言の圧力。知りたくない人、忘れたい人、知らせたくない役所。人々の間に走る無数の亀裂、人々の胸の中に渦巻く重い沈黙として。

 言葉にならない気持ちを抱えながら、カメラのレンズをズームアウトしていくと、そこには一見平和な日常が広がっている。ここ関西地方と福島との途方もない距離。あるいはめまいのする落差。どのようにして私たちはこの距離、この落差を越えて、つながっていくことができるだろうか。

 放射能汚染の広がりに対して政府、メディア、学者は「ただちに健康には影響ありません」と繰り返していたし、今も繰り返している。公共広告機構は金子みすずの詩や「上を向いて歩こう」や「日本は強い国」「がんばろう日本」「復興」というコマーシャルを際限もなく繰り返していた。その内容自体の是非は別にして、それらはとても政治的な意図をもって発せられていたと思う。人々の不安や痛みや悲しみや疼きや絶望や、勇気ややさしさやいたわりや、そういった人々ひとりひとりの、前代未聞の災害を目の当たりにした個的な切実性を、それはやわらかく糊塗し、やさしげに諭し、親切めかして同調を強いていた。詩的なものから、会見風なものから、演劇的なものから、歌謡的なものから、同調の圧力は押し寄せていた。やがてしばらくの後にそれらが去って行った後には、静かに慰撫された風景が広がっていることが期待されているかのように。そして私たちはその通り慰撫されていったのかもしれない。フクシマという現実を離れて、なにもなかったかのように私たちの現実へと引き戻されていったのかもしれない。しかし…。

 しかし、私たちは問わなければならない。それでよかったのか、それでいいのか、と。言葉がそのように使われることに対して、なにか言うべきことがあるのではないか、と。この悲惨な原発事故にもかかわらず、再稼動を画策し、経済振興のために原発を輸出し、汚染されたガレキを地域に分担させ(撒き散らし)、被災者よりも東電の救済を優先するこの国の政治の現実に対して。私たちは問わなければならない、私自身の現実に対して。気持ちの良い、やさしげなコマーシャルに慰撫される私自身と、慰撫されないまま取り残されていく私自身の、立ちすくむ今というものに対して。フクシマとの遠い距離に対して。その痛みに対して。忘れることと忘れきれないことに対して。距離を越えて伝達される何ものかに対して。私の中にわだかまるもの、言葉にはならない沈黙が、外の現実とせめぎあい、こすれあう、その切実な疼きに対して。

 言葉がメディアによって与えられるだけのものではなく、味わい消費するだけのものでもなく、私自身に切実なものとして、私によって生きられようとするとき、そこに詩が、微かな振動を始める。そのとき、言葉は「上を向いて歩こう」に、もしかしたら似ているのかもしれないし、あるいはもっと稚拙なものかもしれない。しかしその働きは全く違う。それは私が私という現実の中で、切実に発する言葉だからだ。その言葉をもって、初めて私たちは立つことができる、やりきれないこの国のこの現実に向かって。