眠り草の花が咲く庭
「ボクね、ボクまだお母さんにね
ミライって教えてもらっとらんもん」
「ミライね、未来。未来は地球」
「塾の先生がね、未来はエコて言いよらした」
「わたし未来はね、ケーキ屋さんになっとると
だって、いつもケーキが食べれるもん」
「わたし、レジ打つ人
お金をたくさんもらえるし……」
子どもたちの未来を聞いていると
私の未来も分からなくなってきた
保険会社が主催する「未来の絵コンクール」
選ばれた作品はルーヴル美術館に飾られる
応募用の画用紙が幼稚園で配られ
いっせいに描かせる
外は激しい雨
窓から見える園庭は池のようになっている
水に浮かぶ幼稚園で
未来の絵を措いている子どもたち
眠りの午後
みんなが絵を描きあげたころ
雨はやみ
きらめく光が園庭にあふれる
先をあらそって子どもたちは外へ飛び出し
水たまりで泥とばしのジャンプ
ブランコに滑り台、ジャングルジム
笑顔が駆け抜けて
歓声が空に響く
園庭の花壇の前に
「お母さんにミライって
教えてもらっとらんもん」
と言っていた男の子が
すわり込んで葉っぱをさわっている
となりにしゃがんで一緒に見ると
それは含羞草(おじぎそう)
耳かきの綿毛のような
まるいピンクの花が咲いている
触ると閉じて垂れ下がる
眠り草ともいう
その感触は
眠っていた私の記憶
子どものころの庭にもあった眠り草
まだ母もいた、そして父もいた
米櫃を卓袱台にして食べた
あの夕餉
それは私のなかの
心の絵本
雨上がりに虹
そう、いまが未来
笑顔が駆け抜けている
街は蝉時雨
詩集の表題「花、若しくは透明な生」は画家でもある著者が初めて行った絵の個展のタイトル。メイプルソープの花の写真、その妖しさや透明感、荒木経惟の枯れた花の、死から生へ向かう花。それらの姿に触発されて、描き続けた水彩画。儚きものが永遠となる、閉息した不透明な時代の、透明な生。
描かれた絵から、言葉が発芽する。言葉の連なりが、絵のイメージに反響し、絵と詩がキャッチボールをし、そしてだんだん詩が独立して離れていく。
福岡の大牟田市在住の著者の詩は、旧炭坑町のその地に深く根ざした言葉を発信している。時代に翻弄されつつも、その表層にすくわれまいとする言葉の意志、根っこを感じさせます。根っこがむなしくかすんでいく時代の、存在の原点への問いかけが詩集全体に流れている。