利根の川音
利根川の向こうに
トンネルから出てくる汽車が見える
玩具のように小さい機関車
音はなにも聞こえない
天にまでひびくように
川音は絶えることがないのに
川の向こうには
音のない世界がひろがっていて
夢のなかの風景さながら―
白い川石が
るいるいとして広い川原
父がいて母がいて弟がいて私もいた
大きな石の前での一葉の家族写真
父も母も和服姿
弟も私も短い着物をきて
脛がみえているのは川遊びのためか―
たぶん蟹をさがしてのことだろう
あやまって父の右足の親指に
石を落としてしまった
みるみる黒くなっていった父の爪
どうしよう
叱られる
父は何事もなかったように平然としている
一言も触れずゆったりと立っていた
利根川の川原の蟹は小さくて
石のような色
砂のような色
川の向こうでは
反対側から汽車がきて
トンネルに消える
汽車は玩具のように小さくて
汽笛の音も車両のひびきも聞こえない
パントマイムの中の景(けい)
秋の光をたたえながら
利根川は
ごうごうと家族を包んでいた
古い写真の底からきこえてくる
利根の川音
詩集「花鎮め歌」 結城 文 著
コールサック社刊
結城さんは長く短歌に携わってこられ、いくつもの歌集をまとめておられます。この『花鎮め歌』は詩集としては三冊目になります。 「利根の川音」は詩集の冒頭に置かれた詩ですが、結城さんの詩世界を凝縮して表しているように思います。古い写真の無音の背景と、利根の川音に包まれた家族の肖像。そして写真を手に、たたずむ今。
「うしろに置いてきてしまったものがある/あのことも そのことも/どれも置き去りにしたくなかったものばかり…胸を刺すような痛みとともに―/それらにむかっていつまでもふりつづける/白いハンカチ(猶予)」
(しかし、今は)常のないことを愛惜する気持ちよりも、常のないことを生きるエネルギーとして捉えることができるようになって、いっそう自在になったような気もしております。(あとがき)