詩人における反骨の精神
         下前幸一 工藤富貴子

〈「寂しさ」のことから〉

(下前)
 初めまして。よろしくお願いします。
 対談のテーマは「詩人における反骨の精神」ということです。反骨(精神)=権威、権力、時代風潮などに逆らう気骨、ということですが、死語に近い響きも感じます。「反骨の○○」というコピーはありうるかもしれませんが、普通の人が普通に反骨的であるという状況は、今の日本にはあまりないような気がしますが、どうでしょうか?

 対談に先立って、前号に掲載されていた工藤さんの詩「ブリッスルコーンパイン」を読ませていただきました。そこには「待つ」という形での反骨がしっかりと描かれているように思いました。ご自分の詩の解説というか、そこのところをどのようにお考えか、お聞かせいただけたら、と思います。


(工藤)
 こちらこそよろしくお願い致します。
 私の中にも反骨は見あたらないと思っております。「容易に人に従わない気骨」と言う点で、詩人には真実を追究する姿勢があるから、どなたも反骨の人と言えると思います。だから書くのではないでしょうか。下前さんの詩やエッセイにも反骨を感じます。「ブリッスルコーンパイン」は木が地球と人類の行く末を見届けようとしていると思い書きましたが、確かに、「待つ」と言う形の反骨と言えるかもしれません。

 私もお聞きしたいのですが、下前さんの詩「砂の降る場所から」の六連目、
 さみしさの海に消え入るように
 君は去っていったのだ
 思いを
 記憶の縁に残して
の「さみしさの海」という言葉から金子光晴の「寂しさの歌」が思い出され、日本という国の寂しさと重なりましたが、意図されて書かれたのでしょうか。


(下前)
 引用していただいた詩は、イラクで人質となり、殺害された香田証生さんの事件を題材にしたものです。武装勢力によって誘拐された香田さんの映像を工藤さんもご覧になったかもしれません。覆面の男たちを背後に、床に座らされた彼の「…済みませんでした。また日本に戻りたいです」という呟くような弱々しい言葉。それに対して小泉首相は即座に「テロに屈することはできない。自衛隊は撤退しない」と断言したのでした。それは一切の交渉を拒絶し、人質を見殺しにするに等しい発言でした。マスコミも世論も小泉首相に追随しました。それ以前にボランティアの三人が人質になったときも、「自己責任」という嫌な言葉をもって、イラク戦争の本質を問うこともなく、人質へのバッシングにこの国の人々は走ったのでした。香田証生さんは他ならない日本という国に見捨てられたのです。武装勢力によって首を切断され、星条旗にくるまれた彼の消え入る先は、さみしさの海しかないように私には思われました。

 なんて寂しい国なのでしょう、この日本という国は。金子光晴の「寂しさの歌」が書かれたのは昭和20年頃でしょうか。あれから敗戦、民主国家、平和国家としての半世紀以上が過ぎ、いまだ日本という国の寂しさは何も変わっていません。いや、ことは国家のことだけではありません。人びとの暮らしの情感、感受性の土台、人間としての細部から、国としてのありように至るまで、すべてを貫いてのことです。

 工藤さんは、金子光晴の「寂しさ」に、何を読み取られたでしょうか?


〈金子光晴「寂しさの歌」について〉

(工藤)
 やはりそうだったのですね。私も下前さんと同じです。「寂しさの歌」の序に、ニーチェの言葉を持ってきているように国家の冷酷さそして「寂しさの釣出しにあって旗のなびく方へ」と付和雷同する人々に、そしてそれが日本という国だということに寂しさを感じました。そして大切なのは終連
 僕、僕がいまほんたうに寂しがってゐる寂しさは、
 この零落の方向とは反対に、
 ひとりふみとゞまって、寂しさの根元をがっきとつきとめようとして、
 世界といっしょに歩いてゐるたった一人の意欲も僕のまはりに
 感じられないそのことだ。そのことだけなのだ。
の「ひとりふみとどまって、寂しさの根元をがっきとつきとめる」だと思います。金子光晴はあの時代に上海からヨーロッパへと働きながら移動して、働いてパリで生活した体験から世界的視野で日本を見つめる知識と判断力を持っていたのだと思います。

 私にひとりふみとどまって、寂しさの根元をつきとめる力があるとは思えません。溢れる情報の中にいても、それは他人の手による新聞、テレビ、雑誌からのもの、そして体験といっても観光に過ぎない旅だけです。真実をとらえる感性を持ち、それを判断する能力を形成しているのか考えると全く自信がありません。それでも寂しさを感じることはたくさんあります。

 日本の政府はどうしてアメリカのいうままなのか、偽装詐欺、オレオレ詐欺、リフォーム詐欺、老人や子供が犠牲になる事件の多さ、自殺者は八年も続いて三万人を超す、富士山はごみの山で世界遺産になれなかった、などなど数えだしたらきりがありません。


(下前)
 対談のテーマ「詩における反骨の精神」というのを考えたときに、ふと思い浮かんだのは金子光晴という詩人でした。抵抗の詩人、反骨の詩人というイメージが、私の中に強くあったのですが、単に反戦とか反権力ということではないのですね。反骨の中心には「寂しさの原理」とでもいうべきものが働いているのかもしれません。

 寂しさは容易に日本的余情に陥り、「寂しさの共同体」としてもたれあい、馴れ合い、許しあい、旗のなびく方へ連れ出されるもので、それこそが「寂しさの詩」で彼が描いた日本の姿だったのですが、それは寂しさが擬態し、やがて動員されていく姿だったのではないでしょうか。「寂しさの共同体」からはぐれた単独者としての彼は、自ら自身を一個の寂しさとして踏みとどまることによって、その擬態をあらわにすることができたのかもしれない。

 「寂しさの共同体」に対して、一個の寂しさとして向き合うということ。それは評論家然として、超然と、人びとや社会や政府を批判することとは少し違うと思います。そして、抵抗の精神とは他ならない寂しさの働く場から始まるのかもしれません。

 対話を、ちょっと自分の思考の方に流してしまいましたが、いかがでしょうか?


(工藤)
 上手な表現ですね。下前さんの言っていることを確実に理解できたか自信がありませんが、大勢と「どこか違う」という感覚が拭えなくて、公然と否定は出来ないけれど、大勢に従えないということは多々あります。私の場合、沈黙という形になることが多いのですが。それをどう捉え、どう表現するか、それはまた詩の書き方ともつながっていくのでしょう。詩であれ、文章であれ誰もと同じというのでは、書く必要がないでしょうから、書きたいという思いの中には、個としての主張がなんらかの形であるということですよね。「反骨精神」と言われると難しいけれど、それは表現方法であったり、内容であったり、言葉であったりする独自性ととってもいいのではないでしょうか。


〈「寂しさ」から反骨へ〉

(下前)
 そのとおりだと、私も思います。ブリッスルコーンパインの木もまた、言葉は発しないけれども、厳しい気候に耐えつつ生き延びるという形での反骨を生き、それゆえにこそ工藤さんの胸に詩を喚起し、それが私にもまた伝わってきたのだと思います。それぞれの状況の中で、状況と摩擦しつつ言葉を捜していくというのが大切なのでしょうね。

 金子光晴の「寂しさ」は大勢に同化する、流れに回収されるというのを拒絶しますが、また一方で、自らの内にある寂しさに自閉する、状況を離れて寂しさを囲い込むということも拒絶しているように思います。そこにはある種の摩擦があり、また痛みがあります。痛みを伴わない反骨(精神)など嘘でしょう。少なくとも詩が動き始める場所ではそうだと思います。反骨の後ろには、身を切られる寂しさが働いているでしょう。

 現代におけるそのような反骨の姿として、私は君が代斉唱に起立しないで座り続ける教師の姿を思います。処分をちらつかせつつ愛国心教育を強いる国に対して、自らの信念と良心に従って起立と斉唱を拒否する今や圧倒的に少数の教師たち。教育現場とは関わりのない私ですが、その場を想像するとき、圧倒的多数の順応者、大勢追随者に囲まれて、なおかつ信念を貫くことの厳しさというものがひしひしと感じられます。

 たぶん、現代というのは、みんながそれぞれの場で、その教師のような選択を迫られているのだと思います。だけれども、なかなかそれが見えてこない。選択したことなどないのに、いつのまにか選択したことになってしまっている。三万人を超える自殺者を抱える格差社会など、いったい誰が望んだのでしょう? 先ごろ亡くなった井之川巨さん、彼も反骨を生き抜いた詩人だったと思いますが、炭鉱でいちはやく危険を予知するカナリヤの役目が詩人にはあるのだと言っています。それぞれがそれぞれの場においてなすべきことがあるはずだ、と思います。


(工藤)
 たしかに、信念を貫いて立たなかった教師の痛さというか、孤独は想像に余りあるものですね。本当に強い人たちです。彼らは歴史的に日本で国歌・国旗がどのように使われてきたか考え、国歌・国旗が「旗のなびく方へ」と使われることを察知し、危惧したのでしょう。
 井之川巨さんは反戦反天皇詩人と言うことになっていますね。反骨の詩人です。詩「武器はみんな捨てろ」の一行目が「むかしおれは軍国少年だった…」で始まっていていい詩だと思いました。「君は反戦詩を知っているか」という本もだしておられますね。お薦めの詩があったら紹介して下さい。

 でも自己犠牲によりいち早く危険を知らせるカナリヤの役目はつらいですね。その能力は天性のものではないでしょうか。詩は、イマジネーション、インスピレーション、イルミネーションで書くと言われますが、インスピレーション、イルミネーションというのは持って生まれた能力と言えるものではないかと思いますが、それでも能力を啓発することあってこそだと思います。知識や経験を豊かにし、同時にやわらかな感受性を培う必要がありますよね。美を見極め、善を判断し、真を見抜く…書いていてとてもむつかしい。結局、詩を書くと言うことは、逆に自分を問われることでもあるということですね。


(下前)
 井之川巨という詩人のことを考えるときに忘れてならないのは、詩作品もさることながら、「原詩人」というグループのことだと思います。他のあまたの同人誌と明確に一線を画すのは、一見して詩とは縁のなさそうな種々雑多な人びと、例えば、日雇いの青年、ホームレス、拘置所の政治犯、農民、過激派と呼ばれる活動家などがそこに集い、そこを拠点にし、それぞれ輪郭のはっきりした詩を発表していました。30年近くも前の、私が詩というものを書き始めた頃のことです。

 詩をひとつの作品としてだけではなく、はるかに深く広い場所に連れ出そうという意志、あるいは、深く広い場所から詩というものを結晶させようという意志を、私は感じました。それはとても大事なことだと思います。井之川さんが亡くなって、直接「原詩人」のことを伺うことができないのは残念ですが…。(井之川さんの詩作品は、新・現代詩叢書から「旧世紀の忘れ唄」が発行されています)

 工藤さんは能力や天性のことを言われました。だけど、そんなことがなんの問題にもならない局面というものがあると思います。誰によっても代弁されえないもの、代弁を拒絶するものとでも言いましょうか。詩の始まる場所というのは、そのような場所ではないでしょうか? 自分の生の現場では、誰もがカナリアであり、かけがえのないカナリアとともにあるはずです。



〈状況に抗うそれぞれの反骨を〉

(工藤)
 そういう詩の始まる場所は理解出来ます。前号の特集だった原爆を体験された人たちの詩、ハンセン病で言われなき差別を受けた人から生まれた詩、厳しい環境の中で労働を強いられた人びとから、あるいは人種差別を受けた苦しみから生まれた詩…。それらの詩は具体的、直接的痛みから湧くように生まれた詩だからでしょうか、力があり人の心を打ちます。そして同時に反骨の詩だと思います。与謝野晶子の「君死にたもふことなかれ」も、弟の出征という場から生まれた説得力のある詩ですよね。並ぶべくもありませんが、私も、薬剤師として働いている現場から身近な、負担の多くなった医療費に苦しむ老人や、切り捨てられていく小規模店主の悲しみなどから生まれてくるものもあります。けれど下前さんの「砂の降る場所から」のように他人の痛みを感じ取る繊細な、やはり能力と言っていい想像力が働いて書かれる詩も多いのではないでしょうか。たとえば石川逸子氏の詩「黒い橋」は彼女の歴史観と洞察力そして想像力で書かれていると思います。


下前)
 そうですね。詩における当事者性というのは考えるべき大きなテーマとしてあるでしょうね。ここでは最後にひとつだけ、今までの対話の流れの中から大事だと思うことを指摘しておきたいと思います。

 それは、当事者の具体的、直接的痛みから湧くようには詩は生まれてはこないということです。たぶん工藤さんの言葉の使い方と私の言葉の使い方にはズレがあって、そんなことは前提として踏まえておられることだと思います。だから、あえて指摘することなのですが、具体的、直接的痛みから詩表現に至るまでは、深い葛藤を経過しなければなりません。痛みを直視するという苦しさ、痛みをさらすという葛藤、いろいろな煩悶と時間の経過を踏まえて、ようやくひとつの言葉というものは紡ぎ出されるものだと思います。そしてこのことは当事者の詩に限らず、詩表現というものには、つきもののことなのではないでしょうか。

 私たちは沈黙を対象とし、沈黙を顕在化し、それを言語化しようとします。しかし、沈黙はどこにあるのでしょうか。ある意味で、沈黙は見えないからこそ沈黙なのです。私たちは沈黙を探り、沈黙を直視し、沈黙に分け入り、そして沈黙を言葉へと導かなくてはなりません。それはまた、葛藤と痛みと、時間の経過を踏まえなければならないことだと思います。

 現代というのは、沈黙が許されない時代なのかもしれない。マスメディアをはじめとする情報化の進展は、洪水のような情報(言葉)のうねりの中に個々の沈黙をかき消してしまう。合唱の中で、沈黙は無視され、かき消され、やがて、代弁され、動員されていく。ひとりひとりの沈黙(寂しさ)が国家という擬態の共同性へとからめとられていく。日の丸・君が代の強制、教育基本法の改悪…、共謀罪の新設…。

 寂しさに踏みとどまること。金子光晴の言葉が私の中に、呟きのように響きます。


(工藤)
 ご指摘のように「湧くように」の言葉の解釈に違いがあると思います。詩が書かれるまでには、下前さんの言われる深い葛藤、苦しさを通過し、醗酵するまでの時間経過があると思います。けれど当事者には書いても書ききれない深いものがあると思います。詩人もそうですが表現者である画家もまた同じだと思います。原爆被災の丸木夫妻やシベリヤ抑留の香月泰男が実際に経験した痛みは描いても描いても描ききれなかったのだろうと思います。反骨とは離れてしまいましたが、こういう表現者が次の反骨精神を培っていくと思います。

 下前さんに詩的また論理的に解説していただくと、今の世相の中で、私はもう動員されていく側、権力に絡め取られていく側にいることに気づきます。たしかに、教育基本法の改正(改悪)や共謀罪を新設しようとする動きはまるで戦前の日本に重なります。「愛国心」は教えて貰うものとは違いますよね。忠君愛国という言葉や教育勅語を連想してしまいます。少しずつ法を改めていって、やがては憲法を…というシナリオなのでしょうね。まるで囲い込まれてゆく羊のような不安を感じます。この流れの中で、出来ることはあるのでしょうか。さらにこのことを踏まえて、詩を書くということになると、とても難しく、逃げ出したくなります。でも、それではいけないんでしょうね。

 今は外国が身近になり、いろいろな問題が世界とつながってきました。こんな時代だからこそ物事の真実、行く末を見つめることが大切になってきますね。身の回りのことに追われて、世界に目を向けることは少ないのですが、どんな問題も世界とつながっていることを考えると、生きる姿勢とでもいうものが問われているのでしょう。反骨という言葉は強い言葉ですが、それは結果であって、個々の場においては、目をそらさず、情報に流されないで、自分の気持ちに正直であることが大切と思い直しています。ありがとうございました。