時の狭間で
死んでいる
のではない だが
男の「時」は留まった
午前十時十五分
閉まりのない弁を使って 二十数年
働き続けた心臓の疲労は生命の危機を招いた
生き物の健康な弁と取り替え 命を繋ぐ手術の
全身麻酔に男の「時」は留まる
おお 生きている弁を差し出した生き物よ
この人間のおごりを許してくれ
地球の時間は流れ続けて
胸骨の正中が 切り裂かれて開く胸の中
人工心肺が取り付けられ迂回を始める血液
産まれる前から働き続けた心臓の
鼓動は止まった
けれども 悪夢さえ見ることなく眠る男
心臓を切り開き 病んだ弁を削除する医師
男を生と死の挟間に導いて 未来を見すえるスタッフ
命を繋ぐチームに課せられた数多の課題
機器の準備 渡す手 受ける手
サイズに合った弁の選択
麻酔の 人工心肺の 脳波の
血圧の 脈拍の 血中酸素の
体外へ流れるさまざまな液の
監視 調整
裂かれた心臓を晒して眠り続ける男
「時」が永遠に止まっても気づくことはないだろう
だが 生き続ける腎臓 肺 脳細胞ら
生かし続けるスタッフ
動物の弁が 男の心臓で生きかえり
再び始まる鼓動
血流が全身に酸素を運びはじめて
人工心肺取り外し
胸骨を閉じ 表皮の縫合が終わる
午後五時三十分
医帥が静かに完了を告げたとき
男の「時」は未だ留まったまま
傷跡を置いて去っていく多くのスタッフ
の名も知らず 姿さえ見ることなく
男は眠り続ける
詩集「蓮の花 開くときに」 佐竹 重生 著
土曜美術社出版販売 発行
生命が滅び、あるいは再生するとき。生命を宿す種が、根を出し芽を吹いて生きる古代蓮。千数百年を生と死の狭間で揺れて、生へ傾いた蓮。死の淵を落ちていったアサガオ。
生と死の織りなす時の狭間に、男の「時」は留まる。中空の時。それは日常の暮らしの、時の狭間でもある。生きているということは、時の断絶、その狭間をくぐり抜けるということ。生と死の狭間で揺れていた、中空の時を、記憶するということ。その記憶を生きなおすということ。そこから見えてくる景色に目を凝らすということ、だ。