蛇
島村三津夫
わたしは女と話をした
幻の蛇について
薬品の臭いがしたから
学校の理科室だったかもしれない
遠い昔に聞いたことがある
母の実家の曽祖母から
ヒミズという蛇は
噛まれるとその日のうちに死んでしまうから
「陽見ず」なんじゃ
決してその赤い斑の蛇に近づいたらいかんぞ
蛇は轟さんの滝に住む大蛇の子じゃ
噛まれたら轟さんに行って
大蛇の好きな金貨を滝に放って
滝に五体を打たせて祈るんじゃ
そしたら滝の大蛇がおまえの体を舐めてくれる
毒が体から引いていく
わたしはその日の夕方
校庭の草刈りをしていて
足首を赤い小さな蛇に噛まれたのだ
薬品の臭いに包まれて
女はわたしを横倒しにすると
わたしの体を舐めて回った
細く長い舌は冷たくざらざらしていた
女の口は真っ赤に裂けているようだった
明け方近くわたしは体に溜めていたものを
暴発させた
それが巻かれた舌の中か
女の腰かは分からなかった
高熱でうなされ
題目だけを絶やさず唱えていたから
女の肌は透きとおるように白く
少し赤みを帯びていた
ただ女の体は身の丈が
わたしの二倍はあるようだった
細く長く
陽が射し始めると
女は光を嫌うかのように
教室を這って出て行った
廊下に薄く赤い漆のような
ぬめりを見たのは
わたしだけだろうか
四つの小詩集で構成された詩集です。最初の「育ちの庭」や最後の「旅の歌」は生活の日常感覚のうえに詩の世界が形成されていて、ある種の透明感を伴って、しっくりとなじんでくるという印象です。しかし、読み進むにつれて、言葉はしだいにある湿度とある質量をはらみ、読者のなかのどこか奥深いところにまつわりついてくるという感じがあります。まるで詩集の中の大蛇のようになめ回され、締められ、連れ去られていくような。文体もいわゆる詩の行分けではなく、どこか深いところから発せられる物語のように、語られていきます。長かったのか、短かったのか分からないまま、物語のただ中で、我を忘れて、まるでさまようように、時を過ごす。夜明けとともに、ふと目を覚ますと、そこは懐かしい詩の世界です。詩が、戻ってくる着地点でもあるかのように感じられます。
不思議な旅をしたような読後感でした。 下前