おくりもの
         長谷川修児

ばくにもういちど人生がゆるきれるなら駄菓子屋の
店先からわくわくぬすんではしった露地や日ぐれま
でかけめぐった蝉とりやトンボつりやゆうペにむら
がるこうもりやはすの実のあわいあまさを君にあげ
よう

いつかのまひるほくは裏のハス池にネコをなげた
夜になると壁いちめんにネコの顔はうきあがり夜光
時計のようにきらきらしてまわっていた 食用ガエ
ルの牛のようななきごえが耳に押しいってぽくをせ
めていた イカリにおおばこをつけて鼻さきにゆら
すと食用ガエルはみずをけってくいつく そうやっ
て仕返しした ハス池の葦のしげみやヨシキリやエ
ビガニやフナやヒゴイやないしょのたからを者にあ
げよう

ひろいのっぱらでオートやイナゴをおいまわしすっ
ぱだかになって用水池でおよぎはすの実をむさぼり
暮れかかるたんぼのあぜでバケツいっぱいタニシを
とった おけら一匹 おけらよおけらふたりのちん
ぽこどちらがおおきい まえあし振ってこたえるお
けらを君にあげよう

へいたいごっこやちゃんばらや水雷艦長やすもうや
軍人しょうぎやドンチッパやメンコやビィーダマや
べぇーごまはおとこ まりつきや綾取りやおてだま
やおはじきはおんなとあそびはきまっていた 子取
ろやカゴメや小豆たったや縄とぴや石けりやケンダ
マやお国はにっぼんはいっしょにあそんだ ばくは
こまかいあそびは下手だった ケンダマ ベぇーご
まには手がでなかった べぇーごまのひも巻きはむ
ずかしい 巻いてもすっぽり抜けてしまう しっか
り巻けてもこんどはトコに入らない べぇーごまは
やすりや砥石で丹念にけんまする その差が勝負を
きめる トコのなかでうなりをあげてはじけ合う小
きな鉄のコマたちに少年はときをわすれる ときを
わすれるコマを君にあげよう

双葉がまけた双葉がまけた 安芸の海の外掛けだよ
ラジオにかじりついていたぽくはすっかりこうふん
してさけんでいた すさまじいどよめきはいつまで
もラジオからながれた 双葉山はうっちゃり双葉と
よばれたときがあった はくはうっちゃりがとくい
だったから双葉みたいだとはやされてよろこんでい
た 双葉山はきれいなすもうとりでばくたらのえい
ゆうだった ぽくたちのえいゆうを君にあげよう

あばれうまがすっとんでいく大八車がすっとんでい
くしゃりんがはずれてすっとんでいく 蹄鉄屋のお
じさんをよんでこい ぽくははしる 大通りは人だ
かり おじさんはうまをとめたか そらをはしるイ
ルカとならんでからだのなかをひづめがはしってい
く ずしり しんぞうのつぶれるおとをきく そん
なときいつも雲をつかもうとする つかもうとする
雲を君にあげよう

露店でひよこをかってきて電球をつるしたポール箱
でそだてた 一週間もたたぬまにしんだ 庭にふか
くあなを掘りわらや草をいっぱいしいて土をかけて
やった チビは小さなライオンのような犬だった
かれはせんろに入り足一本つけねからすっとんだ
ヨードホルムをきずぐちにぶっかけ体ごとほうたい
をぐるぐるまいた 数日するときずぐらはふきだす
ウジのるつぼになった まいにちオキシドールであ
らった 軟骨をつけるようになるとじぷんの舌でな
めまわし直してしまいライオンの風貌は三本足では
しりまわった 野犬狩りのはりがねがひかった そ
れっきりチビはぽくのてにもどらなかった もどら
なかったいのちを君にあげよう

ぽくは欄間をはしるちいさなオニもしっている お
となの手のひらほどの背たけでよなかに目をさます
と欄間からぼくを見おろしかどからかどへながれる
ようにはしった そのたびにちんまりふとんにおき
あがり首をめぐらしめぐらしゆぴさして父におしえ
た だれにも見えない光景はオブラートの海になっ
た 通りすがりのかぜにのせて君にあげよう

両うでをさしのべるはは そらにかざすぽくのての
ひら ふたりにそそぐ陽はあったか トマトぱたけ
はくの背よりたかいトマト あめいろのおおとかげ
いらめんのトマトのにおいに潮の香がまじっていた
がけのようになってうみにつきでるかいがん 途方
もないせかいのかたちをぼくはみた 途方もないせ
かいのかたちを君にあげよう

海よ
私は渚でいつまでもこうして立っていたい
おしよせる
白い花のついにつきる日を
ほうぜんとみつめていたい
最後のしずくにこの手のひらをひたしたい





詩集「緋」
      長谷川修児 著

2009年12月 刊

 ご両親への追悼の詩集です。お二人への語りかけが沁みるように感じました。特に、お母様との最後の時間をつづった半散文詩の形式のいくつかの詩は、お母様の独り言でもあり、つぶやきでもあり、語りかけでもあり、それに対する長谷川さんの語りかけでもあり、つぶやきでもあり、独り言でもある、幾重にも重なった言葉の層が幾重にも重なって届いてきます。
 また「おくりもの」という詩は追悼詩の全体を背景にして読むと、何か透明な感情が繰り返し押し寄せてくるような感じがします。一番好きな詩です。これから何度も詩集を開いて読み返すだろうと思います。   (下前)