「翻訳」と題された大家正志さんの詩集です。大家さんは高知県で詩の活動をしておられ、多くの詩人たちの活動を支えておられます。

 この詩集は「翻訳」と題されていますが、詩集の中に「翻訳」という題の詩があるわけではありません。おそらくこの詩集そのものが何かの翻訳だということだろうと思います。それは例えば、日常生活が沼のようなものだとしたら、その沼の深みからぷつぷつと泡が浮き上がってくる。泡がぷつぷつと浮き上がり、水面で弾ける。微かな波紋を広げながら。そのように言葉が暮らしの中から浮き上がり、弾ける、その場面場面を、それは言葉と言葉でないものとの中間のものだから、言葉に翻訳しなければならない、その場面場面を「翻訳」したのではないかと思います。
 翻訳を通じて、私たちはそれぞれの切実な場に、実は居合わせているのかもしれません。

春になると


あのひとが手術した日
ぼくも手術した

あくる日
あのひとの術後がマスコミを賑わした
ぼくの手術などだれもしらない

あのひとはゴッドハンドといわれるひとが手術したが
ぼくは国立高知病院の勤務医
トラブルに備えてのあれこれをネガティブに説明されると
生きてかえれないのかもしれないとチラッとおもった


三時間かかるだろうといわれた手術は一時間半で終了した
ゴッドハンドとまではいかないがナチュラルハンドだった

あのひとはICUで
ミチコサンの手を握って書物が読みたいといったそうだが
ぼくは
間段ない嘔吐になやまされていた
胃酸を吐ききっても吐き気はやまず
星座をのみこんだボイドや
虚言癖のあるダークマターを吐きつづけていた
ひとの言葉は吐きつくされることがあるだろうか

リハビリに備えあのひとの病室には運動マシンが運び込まれたそうだが
ぼくは
高知病院付属看護学枚の平山静香さんと病棟の廊下を歩いた
平山さんのからだからはゆうべの夜のにおいがした

日曜日NHKであさま山荘40年という番組をやっていた
あのひとはTVなど見るだろうか
タケウチくんから届いた葉書には
     鈴木邦男のいう閉鎖的排外主義的でひとの話を聞かず小さな同一性
     だけを守ろうとする社会、という「連赤」についての言はまさに至
     言です。つまりこれは40年後のワレワレの世界なのですね。
若いころ
アナーキーでありたいとおもった
国家権力も民主主義も糞ッ喰らえだとおもっていた
とはいうものの
アナーキーになる覚悟も度胸もなかった
いまは
年老いたからだをベッドに横たえているばかりだ
そのうちチューブで身体を制御され
身も心もアナーキーさを漂わせて死んでいくだろう


     吉田拓郎がわかいころ
     人間なんてラララララララ
     と歌っていた
     人間なんてラララララララ
     人間なんてラララララララ
     人間なんてラララララララ


あのひとは眠れぬ夜はなにを考えているだろう
不安で深い闇のなかであったとしても
クニの平安やコクミンの幸せのことを考えているだろうか
ぼくは免疫を下げるようなネガティブなことは考えないようにしようとしたが
つい顔がほころんでしまうような思い出などひとつも探せなくて
深い闇を浅くしていると
看護婦の田口さんに懐中電灯の光をむけられた
眠れませんか
だから
いっしょに寝ようよ
誘ってみたが
田口さんは
クククッと闇のなかで笑みを浮かべると
ぼくには見えない空気の裂け目に身体をくぐらせ
ひょいっといなくなった
この病院ではそのようにして多くの患者と看護婦が
この世間の不始末をチャラにしているらしいが
まだ入院4日日のぼくにはその極意がわからない
闇はただ深い闇と浅い闇があるだけだ

病院の食事はどうしてまずいんだろう
おまけに「肝胆膵食」は味も素っ気もない
文句をたれても食事がうまくなるわけでもないのでにこにこと三食食べたが
あのひとは出される食事に文句をいったことなどあるだろうか
どんな食事でも出されるものは淡々と食べて生きてきたような気がする
どこでも
いつでも
あのひとは
淡々と生きてきたような気がする
淡々と生きていることがあのひとの職業であるかのように


     吉田拓郎がわかいころ
     人間なんてラララララララ
     と歌っていた
     人間なんてラララララララ
     人間なんてラララララララ
     人間なんてラララララララ


あのひとが退院した日
ぼくも退院した
あのひとは花束をかかえ
主治医や看護師長や大勢のコクミンに見送られていたが
ぼくは
次の患者さんのために掃除しますので
そんなふうに病室を追われ
昼の仕事で出払ってしまっているナースステーションを横目に
迎えに来た女房と7階の食堂でラーメンを食べたが
まずいラーメンだった
明日からまたなんということのない日常がはじまる
アナーキーにも愛国者にもなれなかったぼくの行く末は
人間なんて
とたったひとりの自分さえ自虐できず
吐けるだけ吐いてしまった胃酸に溶かされてしまったようだ

春になると
ことんと音がして
桜が咲く






詩集「翻訳」   大家正志 著 
                ふたば工房刊