偶感
さっさと通り過ぎる
私の中の時間
何の好奇心をも示さないで
「おい、ちょっと待って」
と 声かけようとするが
そのときにはもうすでにとっと と
振り向きもせずに遠ざかる
確かに見えるのは
間違いなく消えていく
残りの目盛り
夢の形
もう 走ることはできない
薄くなっていく背中の骨の
からからと鳴る音を聞きながら
心もとない明日への
見えない道を
一歩 踏み出す
ほろぼさないで (平仮名の詩・その1)
そのめを ほろぼさないで
そのめが なにいろであっても
そのめが どっちのほうにのびていても
そのめは なんと よわよわしげであっても
その 芽 は
はるから しょか にかけて
ね を はり くきをのばし
あおい は ひろげ
あかや あおや きいろや
いろいろないろの はな さかせ
いろいろなかおり ただよわせ
なつから あきへむかって
ほっこりとした み をつけ
うけついだ いのちを
せいいっぱい まっとうする
その め にちがいないのですから
いまは かるくさわったり
ほんのちょっと つまんだだけで
あったかい なみだ うるうるながし
よくじつは しぼみ ぐったりとたれさがり
だから だから
こころからだいじに
こころからだいじに…
詩集「ほろぼさないで」
おだじろう 著
2007年刊
詩集最後の「偶感」という詩が詩人の立つ位置をよく表していると思いました。
通り過ぎ、行ってしまうものを見送りつつ、あきらめも焦燥も抱え持ちつつ、自らの一歩を踏み出すという意志。その一歩はおだじろうという個人を越えて普遍的な意味を持つものだと思います。
詩集の題名にもなっている「ほろぼさないで」をはじめとして、所々に平仮名の詩が挿入されています。そこで言葉の潮目が変わります。言葉(心)の流れがそこで変わり、ある柔らかいものが露出しているという印象を受けます。漢字は外来のものなのですね。漢字交じりの普通の詩はそれだけで観念的だという印象がします。とにかくお互いがお互いを照らしあってなにか新鮮な断面が覗いているという読後感を持ちました。 (下前)