記憶の意味
気だるい夏の昼下がり
土間の裸天井の煤けた梁から
燕の巣を狙っていた大きな青大将が
どたりと落ちてくる
自分を支える手も足もないので
仕損じた蛇はきまり悪げに
のろのろと姿を消す
夕立を避けて駆け込んでくる行商人
煙草入れを下げてやってくる隣の隠居
表から裏へ駆け抜ける洟垂れ小僧や犬や猫
毎年律儀にやって来たツバメ
夜も昼も開け放たれていた
母屋の土間を
吹き抜ける風
あり様が変わってしまったのだ
他者の立ち入りを拒んで
ひとは扉を閉じるようになった
危険な知恵の鍵をいくつかこじ開けて
豊かになったと思い
かつての記憶の意味を忘れてしまった
炎天下に佇む廃屋の前で
二世代の季節の移りを想い
記憶の意味も失われたと
老いた少年がつぶやいている
詩集「異郷への旅」
直原弘道 著
コールサック社 刊
装丁に惑わされました。中国南部への旅の紀行のようなものを期待して読んだのですが、最初の「記憶の意味」で、あれ?という感じになり、読み進めて「峠を越えて」や「雨の麗江」あたりでようやく期待どおりの場所に着地、と思ったら、「六甲山麓」の記憶へと戻っている。
今現在という場所との距離が異郷なら、記憶もまた異郷であり、私が失われた記憶に立つ限り、私にとって、現在という場所もまた異郷なのでしょう。その現在という異郷を辿る詩群がU章の「地下幻想」における盧溝橋、パレスチナ、イラクの現在をめぐる詩群なのでしょうか。
現在という異郷に立ちすくみつつ、それでも言葉であろうとする詩人の意志が伝わってきます。 (下前)