風に聞いた話だけれど
ある夜のこと 男の子はひとりで
森に入って行ったのだって
あたし 風に聞いたのよ
いいえ ひとりじゃなかったの
人形たちや ぬいぐるみの動物を乗せた
そりを引っ張って行ったのだって
森にはまだ雪が積もっていたけれど
もうすぐ春が来るころの 満月の夜
男の子が着ていたのは
赤いマントだという人も
紫色だったという人も
いやいや 雪よりも白いマントだった
という人もいて―
そりにはおもちゃが乗っていた というけれど
通りすがりに聞こえたのは
子供たちのたのしそうな笑い声
男の子が通ったあとには
海のように水が満ちてきて
大きな波の壁が 立ちはだかって
すべてを覆ったのだって
それでも 男の子はどんどん歩いて行って
森のはずれから空に昇って行った
にぎやかな笑い声をそりに積んで
みんなで光の梯子を昇っていったのだって
その証拠に森で一番背の高いトドマツのてっぺんから
銀色の海星や貝殻で飾られた綱が垂れ下がっているよ
あれに掴まってみんな空へと昇って行ったんだって
―それは枯れ木にまつわりついているサルオガセさ―
と大人は言うけれど
あたしは風の言ったことを信じるわ
みんなみんな 光の中で雪よりも白く輝いて
天に昇って行ったのだと―
とっても楽しい旅行だったから
いまでも春の満月のころには
銀色の笑い声が 雪深い野原や
海の波の上に降ってくるのだと―
子供たちも 犬や猫や 牛や羊も
鳥もさかなも みんな銀色の光となって
戻ってくるんだよ
風に聞いた話だけれど
この詩を読んで、僕がふと思った情景は、あの大津波の後、泥の海にひっそりと横たわった文房具、そしておもちゃの人形やぬいぐるみ。それは逝ってしまった子どもたちのわずかな、だけど確かな痕跡。子どもたちは何処へ行ったのだろう? いや、子どもたちはそこにいる。その痕跡の場所に。見える人にしか見えない場所に。だから子どもたちの消息を誰も知らない。ただ風だけが伝えてくれる。子どもたちはそこにいるのだと。整地された街のひっそりとした場所に、立ち入りが今も禁じられた領域に、日々の暮らしの中で次第に忘れられていく記憶の場所に。風に耳を澄ますということは、その痕跡に手をあてるということ。
詩集「風に聞いた話」 木村淳子 著
土曜美術社出版販売 発行