きみたちはどうしているのか
ぬけた歯は
屋根のうえにほうりあげ
あるいは縁の下になげこんだから
虫歯のないぼくたちなのか
一枚五円でスルメを買って
ザリガニつりに出かけたぼくら
かみきれぬものはなにもないと
信じていたぼくらだった
目をつぶって飲みほしていた脱脂粉乳
あれは家畜の飼料用だった
家畜の飼料用として
いまおくり出されるセシウム濃集の粉ミルク
カルシウムがあるからと
きみたちも飲んでいるのか
きみたちの郷土に
ザリガニはいるか
ぬけた歯を
きみたちはどうしているのか
報告
かたつむりのはったあとや、
くもの巣の白さから、見分
けるのがとくいの、私だっ
た。ひぐらしは、何を予告
してないているのか。夜あ
けまえのふとんのなかで、
不安に耳をそばだてている
が。あの日、椎の木の黒い
肌に埋まるようにして、た
そがれを待つひぐらしであ
った。
おそろしいことでございます
その瞬間
列島に住むせみというせみが
ミンミンぜみも
チッチぜみも
ニイニイぜみも
あぶらぜみも
ひぐらしぜみも
つくつくほうしも
えぞはるぜみも
くまぜみも
せみというせみがみんな
いっせいに
横隔膜をとめたのでございます
しばらくすると
黒い涙が
天からしたたりおちてきたのでございます
アイシャドーがとけて、く
ろい涙となったわけではな
い。あかい血が、くさって
したたりおちたのだ。肌を
むかれたあかい死体、あか
をうら地としたくろい死体。
鳴きやんだ蝉、失われた声。
いい伝えでしかなかった雨
の記憶が、白い壁に、なみ
だのあとと残っている。フ
ィルムをいまも感光させる、
黒いあめのあと。
詩集「きみたちはどうしているのか」 大橋晴夫 著
詩の村出版会 発行
「核」に関わる作品を集めた詩集です。
記憶と経験、そして体験とその思想化という問題意識が底流に流れています。
詩集中の体験、体験の思想化と題した断章の一部、
「…
戦争体験という。
体験とは、個人の経験したことが自我の中に取り入れられ、今後のその人の生き方の中に定着していることを意味している。多くの人は経験したことを、真の体験にまで深めることなく生きている。河合隼雄の言葉である(「影の現象学」思索社二二六頁)。
私たちは体験と経験とを使い分けている。私たちはどうしたら戦争体験を共有することができるのだろう。
…
丸山はビキニ以降原爆体験について深く考えるようになったという。体験の思想化については、「こればっかりは、もう無理に意味をでっちあげてもしょうがないことで、やっぱり自分の中にずーっと、こう…発酵させていく。たまっていくものを発酵させる以外に、本当のものはでてきませんからね。(「二十四年目に語る被爆体験(丸山真男手帳)六)」と述べる。…」