こくごのきまり
好きになった彼は
にほんごのひと
よる夢みるときも
新しいことばというのは本当で
抱き合うほどにそれは
からだの奥に深く入っていった
海をわたってきて
にほんごだけの生活がずいぶん
経っている
テレビをながめながら音をおほえ
字ぐらい書けるようにと彼にいわれて
毎日鉛筆もって勉強してきた
けれどもこのごろ
テレビの音がやたらうるさい
茶碗を洗うときにゴム手袋をしてみたり
バンドエイドしたリしても
ひび割れた指がなおらなくて
鉛筆がもてない
きれいなにほんごをしゃべる子供は
指から流れる赤い血をみるたび
驚いたり怖がったりする
なだめてやろうと背中を撫でてやると
かさついた指がいたいと
余計に泣いた
寝ている彼を眺めていたら
からだの奥まで届いていたはずの
にほんごが
少ししぼんで小さくなっていることに
気がついた
好きになった彼とも子供とも
離れたくない
ずっと一緒にいたい
だからおもいきり息をとめて
へその下に力をいれる
いま このにほんごを
のがさない
言葉が自明ではないところ。決して自然でもないところで、それでも言葉が言葉であろうとするとき。言葉が言葉であるために、ある力が必要である。そういう場所で、自らを試みている詩という印象を受けました。
自明でも自然でもない場所に、「へその下に力をいれ」(こくごのきまり)て、それでも立とうとする言葉。「無邪気だったにほんごが 空いた腹に きりこみながら 立った」(かえりみち)その瞬間。ふと立ち止まり、立ちすくんだ場所に見えてくるのはどのような情景でしょうか?
全体として、読者に対する「問いかけ」でもある詩集だと思いました。 (下前)
詩集「こくごのきまり」
丁海玉 著
2010年 エリア・ポエジア叢書O