戦後から長く三池炭鉱で働き、三池闘争をたたかい、三川鉱の大災害を体験、炭鉱労働者としての現実を見据えた文学活動、詩作を続けてきた杉本さんの最新詩集。炭鉱の労働と闘争、幼い日の学童疎開の記憶、そして現在の状況と、三つの柱から構成されているが、基調にあるのは、地の底で働き呼吸する人間の鍛えられた触覚とでもいうべき、現実に対する独特の感性だ。
「見えるものと見えないもの/…/光の影をあやつる異形なものが/おれの身の回りに/確かにあった」(痕跡)坑の中の記憶。下降する人車の闇の中。盤圧、風圧、水圧。社員さんとの身分の隔たり。熱風と寒気。炭函を引く馬のあえぎ。目抜き。疏水道。炭塵爆発。胸の中から息づく鼓動が『三池闘争』五十年の今も問い続けている、「男たちの足は/堅い地盤を/今も しっかり踏み締めているか」(坑の中から 鼓動が)と。そして「人が人間らしく歩ける/人の道を/たしかな風の道を/風の橋を」(風の橋)と願う。
 これまでの詩集と同様に、レクイエムにはしないという意志が、今という状況を見つめる視線にも貫かれている。乱開発による環境破壊や異常気象。国策に翻弄され変貌する風景。「想定外」という言い逃れ。中国での炭鉱事故。そして大震災、津波、放射能汚染。「かつて地底にいた男は/奈落の底を見据える」(底の辺り)。自らに課した「命と心と時間」への挑戦はまだまだ続く。  (下前)

杉本一男詩集
「坑の中から 鼓動が」

        『炭鉱地帯』編集室発行

痕跡
              杉本一男


一雨来て
日照りがようやく和らぐ
視界に森や林はない
ここは河口の辺り
有明海に注ぐ河川の水が少ない
直径一メートルを超えるパイプから
間断なく垂れ流された
あれは三川鉱の坑内からの揚水
十一年前の閉山までに
揚水が停まったのは
炭塵爆発でパイプが破れたときだけ
水はたちまち坑内に逆流した

見えるものと見えないもの
定かではないが
よじれた糸玉でつながり
光の影をあやつる異形なものが
おれの身の回りに
確かにあった
わずか十分の差で助かった命
おれの身は寒風に向かった
あのとき何が起こったか
記憶は
あいまいな部分を抹消して
鮮やかな部分を拡大
三色に分解
色付けして動き出す

油の値段が果てしなく上昇
石炭の価格も三倍になり
オーストラリアの積み出し港に
どこの国のものか
荷積み待ちの石炭運搬船がぞろぞろ

油がない
石炭が足りない
何でもかんでもないものばかり
あるのは
この海岸辺りに三〇億トンの埋蔵炭
水没させたかつての坑から
数十本のパイプで水を揚げる
途方もない話が
伝わってくる