河口に棲む
ここまでは流れて来たが
留まったのは
意志であった
川を下ったものたちは
たとえば
スジアオノリのように芳香を得た
海を辿ったものたちは
たとえば
香魚(あゆ)のように真水の味覚をおぼえた
北かのものはそこを南といい
南からのものは北に堆積した
のだという
ここからあとは断崖
東するか
西するか
漂ってきたものたちの中には
どこかに真ん中があると主張し
ここはド田舎でしかないと言い張った
ぶつくさいいながら
散って行った先で似而非(えせ)中央を作り
われらこそど真ん中を名告(なの)ったが
河口は変わらなかった
下りてきた流れと
寄せてきた流れの
均衡の中におのれだけの都を持っている
そこは 今
阿呆(あほ)で異骨相(いごっそう)と称えられる真人間の
首都となって存在する
詩集「黒潮の民」 山本 衛 著
コールサック社 発行
「場」にいるということ。たまたまそこに生まれ落ちたにせよ、その「場」をもう一度掴むということ。その「場」から言葉を引きずり出すということ。言葉をその「場」に落とすということ。そのような切実な望みによって編まれた詩集だと思います。
北赤道に生まれた黒潮は、薩摩の大隅半島の東方海上を越えて、直っ直ぐに四国西南端にぶつかってくる。その流れに、挑みかかるかのように、四万十川は、四国の背骨を貫きながら流れ下る。
この海と川に挟まれた場所に私は生まれ、そこに暮らしている。
海も川も、好むと好まざるとに関わりなく、私を離れることはない。流れ去るものと、留まろうとするものの均衡に、躰を馴らして生きてきた。わが体臭はいつもこの地の匂いを発散し続けている。(あとがきより)