真っ赤な絵本
西村啓子
NHKスペシャル「東京大空襲60年目の被害地図」を観て
耳鳴りがひどくて目覚めてしまった
頭の後方でキーンという高音
いまにも破裂しそうな工事現場の騒音
もうねむることはできない
枕のなかにある絵本を広げて見る
だれが描いたのだろう
真っ赤な画面
視ていると黒い模様が浮き上がってくる
駆け出すこども 倒れる女性 しゃがみこむ老人の影
綿の入った頭巾を被っているものもいる
彼らの背後から湧き上がるように人影が寄せてくる
あとから あとから
いまこの地にいる人だけでなく
大昔からの者たちまでくるのではないか
道いっぱいに限りなく続いてくる
弱ったものが転ぶ
人波は止まることができない
柔らかいものを足裏に感じ
ぬるぬるしたものに滑りながら駆け続ける
つぎのページ
爆発音とともに真っ赤な滝が 窓から噴出してくる
人々は脇にあるプールに飛び込む
押され 沈み もぐり 浮きあがれない
プールの上は吹き出る炎に覆われる
戦後わたしも見た
空洞となった眼窩をもつ
コンクリートの積み重なり
爆発物による破壊ではないから
外形は残り
戦後 その足場の悪い何階かの箱のなかで
授業をしたり 事務をとったりしていた
母は
平時になってからも
髪を長くしていたわたしの娘を
いつも不安げに見ていた
関東大震災のとき
両国橋の上を走ってくる少女のなびいた髪が燃え上がり
あっという間に倒れてしまったのだという
水の上を流れる空気の熱さ
焼却炉となった町
しかし隅田川の水は冷たくて
胸まで漬かったひとびとの足から背中から眠りが忍び込む
背負われた赤ちゃんは母の背中の温かみを感じながら
目覚めることがなくなった
画面が変わる
ページをめくったのだろう
強制疎開で取り払われた線路脇
防空壕がいくつも作られ人々が飛び込んでいる
つめればあと二人は入れるからと 非常時の善意
入れなかった男性は 火の粉を浴びながらも生き延びた
当時わたしの家は東京の日本橋区(中央区)にあった
畳をあげ床下に親子五人がようやく屈める防空壕を
父が掘った
しかしここは強制疎開で立ち退かされた
入っていれば全員がやはり火に炙られていただろう
神奈川の疎開先で遭った空襲の夜
弟を背負って
外に持ち出した荷物を火の粉から守っていた
空に見えるときは粉でも
近くにくると墓石くらいの火の塊
焼夷弾は1メートルおきに落ちてくると思った
火の玉に混ざって 異常に黄色いのは照明弾
激しい光源は見えないものまで浮き上がらせる
誰がこの絵本を描いたのか 描かせたのか
浮き上がってこない発行元は追求されないまま
いま憲法改正の議論のなかで
再び浮上しようとしているものがある
あざやかに 虹色の絵本を描かなくてはならない
千年以上も続いているわたしの耳鳴りが
真っ赤な絶叫とともに消えてなくなるためにも |