鶴女房
山ふところで暮らす貧しい若者は
段々田んぼで米を作る
アワ・ヒエの種子を播き 里芋を植える
木を切る 炭を焼く 粗朶(そだ)を束ねる
天を見上げるとつるが舞う
ある日 ある時
傷ついたつるを助ける
ある晩 若い女が宿を求める
一晩が三晩
女が居着いたので女房にする
女房は働き者
機織り上手
おり部屋にこもって 一心に音をたてる
ギコ(縦糸を上下にする)
カラー(杼(ひ)の走る音)
トントン(筬(おさ)を打ち付ける)
ギコ・カラー・トントン
ギコ・カラー・トントン
日がな一日中音がする
織り布は天下一品
高い値段で売れたので
男はほくほく
毎日 毎夜 遊んで暮らす
機織り場だけは覗くなと禁じられていたのに
男は破る
正体を見られたつるは やせ細った体で
天に舞い去る
雪深い 越後や越前 丹後の女
空っ風吹きすさぶ 上州の女たち
やはり終日 織り部屋から音が流れる
〈これを織り上げてから お医者を呼んでやるからな〉
といって幼児を失くし
〈問屋さんが来るまでに これを仕上げなくては〉と言って
高熱を押して織り部屋こもり
その夜 亡くなり
鶴女房のように 天に地に去って行った
多くの幼児や女たち
平成とかの世は
日本国各地から 機織りの音
みんな消え去ってしまったのだが
やはり聞える 深夜になると
あちらこちら それぞれの場で
ギコ・カラー・トントン
ギコ・カラー・トントン
昔ばなしを題材にした詩集です。20年以上かけて収集した昔ばなしを、今現在を生きる作者の目をもって、詩作品として編み直しています。
昔ばなしは、単なるお話では決してない。それぞれの地域、それぞれの時代を生きる人々の生活実感を土台にしたものだ。だから、昔ばなしを昔のお話として受け止めるのは、もったいない。というか、それでは昔ばなしの半分しか受け止めたことにはならないのではないか。今を生きる私たちの生活の実感を土台にして受け止めること。そうして初めて、昔ばなしは今ここに、生き生きとしたお話として、私たちに働きかける。
作者の試みに共感します。
「…昔ばなしとのふれあいは幼少の時からだった。大きくなると、それらはみな遠のいてしまっていた。三十代の頃、地域の昔ばなしを採集する機会があった。改めて、古くから伝わり、現在でも読まれている話にも目を向けてみた。歴史や風俗や人々の願いが見えてきた。かくして老境に入ってから受け取った、昔ばなしを検証してみた。長い間、農にたずさわって暮らしてきた実感からである。…」(あとがき)
詩集「昔ばなし考うた」 大塚史朗 著
コールサック社 発行