詩集「ぬけ殻あつめ」

 立ち止まり、後ろを振り向くとき、そこにはおびただしい数のぬけ殻がある。それは断片的な記憶の数々。私から両親へ、そして祖父祖母の記憶へと追憶はつながっていく。作者の詩は、そのぬけ殻としての記憶に血の流れを与え、そこから連なってくる今へと、記憶を配達することに賭けられている。
 過去はあるがままにあるものではない。それは探すという行為(詩作)によって求められるものだ。過去はたどりつくものではなく、つねに中途にぶら下がっている。それをかろうじて支えるものがあるとすれば、それが作者の詩に他ならないと思える。             (下前)

詩集「ぬけ殻あつめ」
          後藤順 著


          土曜美術社出版販売 刊

ぬけ殻あつめ
             後藤 順



 生きている蝉より
 ぬけ殻がいいよ
 生きている蟹より
 ぬけ殻がいいよ
そう 脳性麻痺のマサオに頼まれれば
今日も探しにいく
小学三年のぼくは召使いを気取る

乾いた蝉粁や蟹に
マサオが外の様子を訊く
 青空は何処まで続くの
小川の流れる先にあるものは
手も足も縮れにも血が通う
温かい吐息の横から
汗臭いぼくを嗅ぐ瞳は濁っている

恐竜のぬけ殻は
太陽のぬけ殻は
人のぬけ殻は
まだ まだ
縮れた指がぼくにせがむ
夢にうなされて
きのう集めた蝉の殻を潰した

人が一年ごとに脱皮すれば
一年前のぼくを見せられる
躰の真ん中に骨を隠さなくても
真実を厚い皮で覆って生きる
 人間のぬけ殻があれば
 地球は墓だらけで困るぞ
 そう マサオを笑わせてやろうか

集めたぬけ殻と一緒に
小さな棺桶がマサオの家を出た日
ぬけ殻の親ふたりが地べたを這うのだ
一度も見たことがない
ひとは 深い悲しみの殻に閉じこもる
幾つも躰の中に殻を隠しては
死人と共に燃やしているのだ

マサオの墓に残ったトンボのぬけ殻
 ああ そうか
マサオは黙って青空を飛んでいる
ぼくが集め忘れた
時のぬけ殻が つぎつぎと
夕陽のぬけ殻へ吸い込まれ
闇の殻が弾ける音がする

あれから五十年が過ぎても
新しいタモをぼくは振りかざし
何のぬけ殻を集めているだろうか