押し花
若い皮膚が理不尽に貼り付いたような花弁
花弁の重なりに風が畳まれている
重なりの間に針の穴ほどの道がのぞく
おしべは愛にまみれた失語を捧げ
めしべは死児を孕んでほっそり腐り
夏の黒い押し花が世界の光を吸い込んだまま
死の口づけ
焼けただれた喉は長く続く
火の原罪に幻視された白い花
時を染み込ますことが
時が乾くことと同時であり
めしべの伝言が孤独な花粉のふるえとなる
押し花は
重しと押し返す花の緊張に新しく咲く
押しつぶす文字を飲み込み続け
すべての文字を無効にし
水を与え続けて
すべての文字を生かす
その時
私は重ねられた五〇音字の一字であり
隠された主語であり
古くて新しい一冊の本である
はがされる花弁は再び悲鳴をあげ
しょう液の跡が思惟の扉のように残る
最初の「押し花」に、作者の思いが凝集されているように思います。押し花はもう一つの花。死ぬことによって生まれ、言葉を失うことによって沈黙の伝言を伝える。はさまれるページは例えば、歴史。だけれどそんな言葉によっては決して表しえないもの。もっとぎゅうぎゅうづめで、もっと生々しく、また沈黙が絶叫をはらむマグマでもあるようなもの。それを「歴史」としてページに書き込む暴力が、押し花の悲鳴と拮抗する。はがされる花弁のしょう液の跡は、今を生きようとする言葉の身震いである。
佐川さんは詩人であるとともに、韓国の現代詩を論じ、韓国や在日の詩人たちの紹介を行って来られました。日本と韓国(朝鮮)の間の歴史という深い問いに向き合ってこられたのだと思います。その歴史に対する向き合う姿勢のようなものが、2011年の東日本大震災と福島原発の事故に対しても貫かれています。歴史の深みと広がりの中で、そこに届く言葉というものを探し続ける姿勢が感じられ、風俗の表層を漂うような私たちの日常を深く揺さぶるのです。