詩のことば
あのころ
「アカ」は特高に検挙された。
髭面のまま
「国賊」の見出しで、
新聞の社会面に 掲載された。
『治安維持法』がつくられて
社会主義者の活動も
(自由主義者の 発言も著作も)
非合法だ。――と決められたからだ。
戦後、
憲法が改正され
『治安維持法』もなくなったので、
検挙も国賊呼ばわりもされなくなったが
(「アカ」というものは
合法なのか。非合法か ? )
組合活動をしたら「アカ」呼ばわりされたし
平和運動をしても、
「アカだ。」「アカだ。」と囁かれた。
ところで、なぜだろう。
このごろ
「アカだ。」とだれも言わなくなった。
最近になって
『国家の成分』という
ヘッタラ長い詩を書いたのであるが
その詩の中に
「北朝鮮では/人民が/「成分」に分けられている」
と書いたからか、
「日本共産党・党員のわたし。」
と書くからだろうか。
――詩のことばで書かれていないから――
やんわりと
編集長から批判をもらって、
『国家の成分』はボツで終わった。
(昔流に 言ってしまえば「アカ」のタダナカ)
「日本共産党・党員のわたし。」は
あれから ずーっと
(どこが 「詩のことばで書かれてない。」のか?)
(どれとどれとが 「詩のことば」なのか?)
と
キツクキツク
詩を書くわたしを問い質す。
――弾圧ノ日ノ髭面ノママデ――
くにさださんは1932年生まれの詩人ですが、最近ますます旺盛に詩作に励んでおられます。
日常をうたう詩の精神の延長に、社会的な事柄、問題を、すっと立てておられます。決して観念的であるという風には感じられないのは、言葉にある筋金が入っているからだろうと思います。
以下に紹介する「詩の言葉」という詩は、深い問いかけをはらんでいると思います。言葉が詩であるというのはどういうことなのか。言葉はどういう条件のもとで、詩となりうるのか。答えは、もしかしたら、ないのかもしれません。むしろその条件を探るという営みそのものが、詩を成り立たせるのかもしれません。
「詩の言葉で書かれていないから」というのは、ちょっと違うのではないかと思います。その作品を読んだわけではないけれども、批評の姿勢として。
くにさだきみ 詩集「オソロシイ星」
詩人会議出版 発行