九羽のツバメ 斎藤 彰吾
ーぼくは憲法の子ども
体型がぶっ飛び千切れた死体 血と泥にまみれた肉切れを
泣き泣き念仏唱え 手でひろう
噴き出た長い腸を枝に巻き巻き 炭俵(すみすご)につめる
一枚に二人分をつめたら もういっぱいだった*
その夏の日が過ぎた二学期
中島飛行機の倉庫になった校舎で英語の授業が明るく響き
不規則にバウンドするラグビーボールを追いかけた
新憲法 胸に青い千滴の水をたくわえて
責任に跪き退職した教師を門の影から見送る
光太郎が賢治の一日二四合ノ玄米では駄目だ
体力をつくれ牛肉を食べろ芸術はそこからだ
高校生ぼくは 胸に千滴の青い水をたくわえる
焼き肉店を出た茶髪の若者たちがケータイで語り歩く
ウインドーに映る体型は基地のアメリカ兵と良く似て
遠い首相の愛国演説が時ならぬ人だかり
友よ ぽくは憲法を忘れずに六十年近くを生きてきた
狂っている風に 党も木々の葉っぱもそよぎなびき
大津波と武力攻撃の防災訓練に あたふた駆け回る
そんな日 軒下の巣から
ツバメが 九羽飛び立った
東に西 南へ北と
青空の雲をかけ 自由自在
九羽のツバメ
九条のすじを空にえがく 見えない疾さで
*一九四五年七月十四日、八月九日東北の釜石が米艦隊の
空襲・艦砲射撃を受けた。死者千人前後、その時の手記。 |