ピアニスト


在満六年目 大人二人分の仕事をするわたしを
いじめる大人たちは誰もいなくなっていた
十八歳のわたしに 二十五歳かと聞く そのままにしておく
義父は中風になり割烹〈いろは)は壮行会で昼も埋っていた
それでも座敷からはみだし オンドル部屋まで使っていた

いつの頃からか軍服が間に合わないのか 兵隊が多すぎるのか
関東軍は 不揃いになっていた
 東京の人よ 南方へ送られるみたい 行く前に天ぷら
 食べたいって お金あまりないそうよ 三人さんだけど
配膳口で 仲居の声はもう秘密めいたりしてはいない
大きな前掛けをはずし 突出の盆はわたしが持ってゆく
裏のオンドル部屋で 円卓をかこんだ三人の二等兵は
軍服がだぶつき 胸のあたりまで皺が寄っている
三人は どう繕っても 兵隊にはみえず
三人も 同じ思いで落ちつけないでいた
千鳥足の関東軍に疲れ わたしは腹を立てるのを止めていた
痩せているのがピアニスト 顔色の悪いのが画家
片目のくぼんでいるのが 作詞家だった
敵国の書物 絵画 音楽 言葉は すべて禁止され
日本で コンサートなどとても
― 行進曲なら許可になるけど ― 低い声が湿る
美しいもの偉大なものに敵味方などないのにとわたしは震え
そんな戦争なんか勝てっこない うっかり声になる
三人の兵隊は 負ける戦さに向って うなずくしかなかった
不揃いの軍服の間から 敗北の生臭い風景が見えてくる
三人の天ぷらは極上品 酢物を添え
〈いろは〉自慢の漬物をたっぷり盛り 酒も特上になった
内地の新聞を本気で疑いだしたのは その日からだった

大東亜戦争を考えた司令官だか軍人は 酒乱だったのか
地図を広げ 世界中に日の丸の旗を立てる幻想に乾杯したのか
皿小鉢を壊すように 敵国のすべてを捨ててしまったのだろうか
飲めない者に飲めと言い 断われば命令違反だとおどす上官
わたしの国は そんな国だったのだろうか

ポロネーズ幻想曲変イ長調を もう一度弾きたかった
すでに過去形の声が遺言のように 渡される
三人の兵隊は それぞれの死に息を止めて乾杯する
亡命してでもピアノが弾きたかった 気づくのが遅すぎたと
 敵さんに ― 逢わないですめばいいんだけれど
 僕には とても人を殺すなんてできそうもない
 から ― でも もし彼がピアニストだったら
 砲弾にあたって死ぬまで 連弾で弾きたいな
 バラードでもマズルカでも 即興曲でもいい
南の島に 今あるとすれば 硝煙で組立てられたピアノだ
金髪と黒髪のピアニストが鮮血のつきるまで弾く旋律は
わたしにも 聴えるだろうか
それは 大層つらく おそろしい光景である
三人の二等兵は 軍服に体をあわせられず 靴に足がなじまず
天ぷらだけは 三人の舌と胃袋を満足させた
死にゆく人たちは 何も言えないわたしに優しく
明日出発する不恰好な兵隊は励ますように笑ってくれる
夕顔が三輪 小さな宴は歌声もなく始まり 静かに終った
わたしの怒りは ねっとりと 底なしの恐怖へ移行していった

よれよれの兵隊を見送ったわたしは よれよれの日本へ
敗北に向かって出発する 無力な自分の影を 見送っていた





坂本つや子詩集
      新・現代詩文庫78


           土曜美術社出版販売 刊

「この大地には 雪は降らない/遥かな天空で雪は凍り 鋭い風が砕く」(零下37度)。坂本つや子詩集が描く旧満州東北部の風景である。それは一三歳の彼女が投げ込まれた植民地の風景であるとともに、彼女自身の内的な現実そのものでもあっただろう。身売り同然でやって来た義父母が営む割烹「いろは」の下働きとして、居場所のない過酷な現実を体ひとつで生き抜く日々。
 夜毎繰り広げられる関東軍のどんちゃん騒ぎ。皿洗いの中国人、龍との友情。長いトンネルのような風土病の夜。満人や朝鮮の人が飲ませてくれた煎じ薬や薬草の粉。日本人として生きる無口なお歌ねえさんの一度だけの独白。野天市でひまわりの種を売る少年。「家のひとたちは? コロサレタ/だれに?ニホンクン/どして? ソコ イタカラ」(ひまわりの種)。妻も子も、仲間もその家族も首をはねられ、左足も落とされた、元馬賊の苦力(クーリー)。疲弊した関東軍の、死にゆくよれよれの兵隊。そして帰国。「敗北に向かって出発する 無力な自分の影を 見送っていた」(ピアニスト)。
 黄土の大陸で、地を這うようにして生きてきた彼女だから見えた光景を、彼女はひとつひとつとたどっていく。そこには誇張も飾りもない。ただ現実に翻弄されつつ、生き抜いてきた深い疼きがある。それは私たち自身の忘れられた原体験でもある。詩人の言葉によって、黄土の記憶へと私たちは導かれるのだ。

                                                                      (下前幸一)