死の雲
「おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきさうぢゃないか
どこまでゆくんだ」
とうたうのは
山村暮鳥の「雲」という詩だ。
もともとあの詩は
「ずっと磐城平(いわきたいら)の方までゆくんか」
と終わるのではなくて
「おうい雲よ
千枝子の方へゆくんか
平の方へ」
と書かれていた。
暮鳥の住んでいた 磯浜は
水戸からどれほど離れていたか。
千枝子のいる 平とは
どれほどの距離があったのだろう。
その日の「雲」に
暮鳥は
「のんきさう」
などと書いても よかったろうか。
雲はたしかに
千枝子の 平へいったと思う。
― 磐城平を「雲」は渡った。 ―
だけど そこで
暮鳥の「雲」が
千枝子の胸に
吸いこまれてしまったか どうか。
雲は 知らない。
20km圏内が警戒区域になったことも
20km〜30kmが緊急時避難区域ということも
― さびしい雲にも ―
― のんきな雲にも ―
時の事情は わからないのだ。
南柏馬市にも 飯舘村にも 浪江町にも
うっかり
放射性セシウムの
濃度の高い 雪やら雨やら降らせてしまったのに
(自身が被曝したことも
被曝して 遺伝子が毀されていることも
まったく知らない 馬鹿な奴。)
あの「のんきさうな」
雲の奴め。
どこまでゆくんだ。
フクシマを
「死の街」といったら
大臣だって クビだったから
もしかして
「死の雲」なんて 言っちゃったら ―
言った奴らはみんな
死刑だ。
でもでも
もしかして
暮鳥が生きていたなら
きっと 書く。
「おうい死の雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきさうぢゃないか
千枝子の方へゆくんか
平の方へ
どこまでゆくんだ。
(フクシマを死の街にして)
ずっと
アメリカの方までゆくんか」
と。
くにさだきみ詩集「死の雲、水の国籍」
コールサック社刊
くにさだきみさんの18冊目の詩集です。旺盛な創作活動で、今、この時代に拮抗する言葉を模索されています。
詩集前半では、東日本大震災・福島原発事故を正面に見据えながら言葉をつむいでおられます。表題作の「死の雲」は、もちろん福島原発の爆発によって高度に汚染された雲のことですが、それを作者は山村暮鳥の「雲」「おうい雲よ…」を引用し、その呼びかけを今の状況への批評的な呼びかけとして使っています。この詩に加えて、「水の国籍」という詩でも、雄大な自然を、国境や政治、人間の事情によって利用し、開発し、汚染する愚を問うています。
詩集の後半では、戦時下の暮らしを回想しつつ、それをいま現在へと引き寄せ、定着することが試みられています。また日常の暮らしの中から生み出された詩作品が最後を締めています。いずれの作品も、視界や思考を支える批評的なまなざしが、その底辺にたたえられていて、言葉にある種の輪郭を与えています。
この詩集を含めて、くにさだきみさんの詩の仕事は注目すべきものだと思います。