詩集「いくさのさくい」

  速水晃著
     アオサギ刊


 「日本の歴史上の転換点となった日付に、しかも同じような大雪の日に生まれ、近所の人たちから戦争の話を耳にすることがあった。村道を進駐軍のジープが通り過ぎるのを目にし、 町中で傷痍軍人の姿と哀調のある歌に触れることがあった。小学校低学年で訳もわからないまま日の丸の小旗を作らされ、清掃された砂利道に整列、走りぬける天皇巡行の車に旗ふら された。そうしたことを意識するのが疾風怒濤の青年期、野坂昭如にならって「片足戦中派」 を自称した。」(あとがきより)
 幼年・少年時代の体験を踏まえて、それを作品化し、また、多くの関連書籍や資料を参考にして戦中・戦後の日本社会の実相を描いています。「戦後80年」と言われ、戦争体験者が少なくなる中で、軍事予算の肥大化、あいつぐミサイルの配備、「日の丸・君が代」の強制、憲法改正の動き、自国ファーストや核武装の声など、歴史的な記憶の風化が実感として迫ってくるなか、とても貴重な詩集だと思います。時代の大きな動きのなかで、どのようにそれと向かい合うべきなのか、考えさせられます。



 御國のために


最後の山を越えるのは苦しいものです
それを過ぎれば

藪医者よ ご託はいい
早く楽にしてくれ と言っているのだ
幾度も死を覚悟してきたわたしに
安全な位置から発することばに怒っている

栄えある陸軍二等兵
上官は幹部候補生になれと強いる
丁寧にお断わりすると 歯を喰いしばれと殴られさらには蹴られ
蝉になれ 犬になれと
夜ごと転がされ水かけられ


日本ヨイ國 キヨイ國 世界ニ一ツノ神ノ國
日本ヨイ國 強イ國 世界ニカガヤクエライ(*)
赤紙一枚で普段の生活 学業から引き剥がされ
替わりはいくらでもある と
野ざらしに

上官の命令は絶対である
軍隊は國家であり 法である
全ては天皇陛下から下賜される
個の自由・権利は認めない

従わない者に下士官は 殺さぬように手を加え
残酷陰湿な私刑を思いつき
不戦を危惧する上官は最前列に配し
ススメ! ススメ! と号令をかける

北支の激戦地 ひとり山岳への斥候を下命された
えぐられた地表が濁った血の色で迎える
頭上空気を裂いて飛び越える砲弾 背後から機銃音

遠くに煙幕が立ち 周囲気配なし
姿勢低く枝に頭を押さえつけられ
攻めてくるものの動きと地形を描きこむ
(樹影のなか 山間部で暮らしていた子どもにかえる
 病弱なわたしを案じ働きづめだった母)
水筒の水は飲み干し喉は涸れ

帰りついた部隊は大きな穴に沈み
近づくにつれて死臭の色が濃くなる
取り残されたばかりにわたしは難攻不落の敵陣を占拠・死守 と
金鵄勲章の名誉
死んでいたはずの者 異議申し立てはできない

五年八か月の軍隊生活
快復不可能といわれた腸チフスを患い
復員後はマラリアにおそわれ 中耳炎の大手術に追いかけられ
研究者生活の軌道をはずれて結核 その後の長い療養生活
死の近さは人里をはなれた自然との交遊
どろんこあそびに興じる陶器づくりと柔らかに伸びる会話
時の温みと忘れていた人間らしさを取り戻し
遠回りする楽しみを創りあげた

遠ざかっていた死神が手招きする
山岳戦を思えば 何事も乗りこえることができた
生きるために加担した暴行と殺人
口にすることができなかった長い旅はもうすぐおわる
わたしから最期の 切れ切れの感謝のことば
みんなに届いたようだな
ありがとう と返ってきたから

それじゃ
一足お先に

  *国民学校初等科修身教科書『ヨイコドモ』(下) 昭和一六年