波動する生
希望はいつもどこかにある
絶え間ない戦争や飢饉は世界各地に
非業の無数の屍を曝し
歪んだ文明は欺瞞の光の幻をひろげ
その中に現れた、現(うつつ)の世界の不毛
それでも季節の岸辺で
無数の目が光っている
羽化しようとする蝶の蛸
石垣で孵化を待つトカゲの卵
小川の日溜まりに浮く蛙の帯状の卵
冬を越す木々の硬く閉じた芽
若い女の月満ちた子宮の球形の胎動
時間は降り積もり
積み重なり 堆積していき
記憶が生まれる
鮮やかに生の形を伝えてくるものたちの背後
遠くの地平に
透明な陽炎になって揺らいでいるものがある
未だ芽生えの形を持たない
未生のものたち
粒子であり波動であるものたち
生の原初の存在であるものたち
色彩を再生し取り戻す
季節の予兆のように
心象に投影される原初の風景の中で
それぞれの諧調へと
調和する運命を密かに
予告しているものたちが
確かにある
文明の
不毛の闇に
今すべての
未生の者たちの意志の
微かな波動が広がっていく
未来への微かな光も漂い
無数の目を持つ風になって
耳朶に触れてくるもの
宇宙の子宮の膨らむ
産み月
未生のものたちが胎動し
皆既日食の黒い太陽はコロナを燃焼させる
その日わたしは
生の祝祭の波動を
油煙を燻したガラス越しに見ている
微かに感じるのだ
その背後に
新たな光の波動を
池田實詩集
「暁暗のトロイメライ」
思潮社 発行
最初の「都市の死者たち」で、少し前に読んだ小説「祈る人」をふと思い出しましたが、一気に池田さんの詩の世界に引き込まれました。「旅の途次」「蝶の曼陀羅」…現実の中に染み入ってくる幻想、あるいは幻想の中にひやりとした手触りを与える現実、現在にからまる記憶、あるいは変形した記憶。記憶が現実を引きずり込み、現実という幻想を引き破る。「未来の記憶」「喪の儀式」も印象に残りました。最後の「波動する生」に池田さんの思い、望みといったものを感じました。後書きを恥ずかしいことと書いておられましたが、「波動する生」は後書き的な印象です。そして、そこからもう一度最初に戻ると、詩集の印象が少し違って感じられるのです。 (下前)