コスモス


風にゆれるコスモスに
ぼくの心もゆれる
訪れる紅葉の季節に
山へ行こう
そんな憧れを持って
秋の風景に佇む
港の果てに山が見える
遠く浮かび上がる海岸線の湾曲
ぼくはこの街から
漕ぎ出すことが出来ずにいる
一生を費やしても
見尽くすことが出来ない
広大な世界があるというのに

学校を抜け出して
川原を歩きつづけた頃
今にもこの街が小さくなって
芥子粒ほどになる日が来ると
密かな夢を描いていた
でも芥子粒になったのは
ぼくの方だった
この川の河口に棲み
火を燠こし、畑を作り
魚を採って暮らした古代の人と
同じ色の花を見る

コスモスよ
ぼくをゆらして
空を飛ぶ風にしておくれ
川を遡り
山に向かって飛んで行こう
紅葉の頃には
きっと上流に住む友だちにも
会えるだろうから
風の便りを聞くように
コスモスが耳を傾けている
ぼくには変わりはないが
この街もようやく秋めいてきたと
友だちに手紙を書こう



詩集「チルトテイソグナ」
             寺井 青 著


            土曜美術社出版販売 刊

「チルトテイソグナ」という表題を一瞥したとき、草花かなにかの名前かと思いましたが、「散るとて急ぐな」という意味だったのです。筆者はこの言葉を、繰り返す念仏や題目のように、心の中に唱えているかのようです。日常の暮らしの、いくつもの断片を目の前にして。そしてそのような断片を拾い集めるようにして言葉を紡ぐ、そのはかなくもあり、いとおしくもある営みのさなかに。
「散るとて急ぐな」は幾度も繰り返し、繰り返され、やがて角ばった意味の角度をそぎ落とされ、風のように傍らをすり抜けていく「チルトテイソグナ」として、どこからか来て、どこかへと去っていくコトバとなったのでしょう。
「チルトテイソグナ」がきて、心の中を揺さぶり、去っていくとき、言葉は筆者に中に生まれ、詩作品として育つ。そのような作品が積まれて一冊の詩集になったかのようです。