精霊船


戦争が終わってからやっと薬を使うことが出来た
ストマイが一本一万円から少しずつ価を下げていった
自分たちも使える時代がやってくると思って
口を噤んだまま目だけで笑った日がまぶしい
妹が先に病み、家事に追われていた姉娘は
あとから病んだ
二人とも粟粒結核というたちの悪い結核であったが
姉は後から病んで先に逝ってしまった
妹娘はそのことが何年たっても口惜しくて
腹立たしいのである
その後「姉さんごめんね」と事あるごとに
言いながら
三十年 四十年 五十年と過ごして来たのだった

平成二十一年二月 雪のち晴
もう一年で昔ふうに言えば米寿の妹は
知人夫妻に招待され まち一番の料亭で
豪華なお昼をご馳走になった
雪を被っている庭が美しく水音がする
一番奥のしっとりした日本間で美味を堪能した
その時、畳廊下を辷って一艘の精霊船が
近づいて来たような気がした
「おのりになりますか」
「いいえ まだ」
さりげない会話であったが、櫓を漕ぐ女人は
憂いと恥じらいを含み
どこか先に逝った姉に似ているように思った
丸頗で優しい人であった
翌日
妹娘は多量の血を喀いて
救急車で病院に運ばれた
中年の医師は〈喀血〉と書き次に昔の病気を訊ねた
「五十年、いいえ六十年も前のことです」
そのまま重たい沈黙が訪れた。




詩集「遠き海明け」 川村 慶子 著 
                
            土曜美術社出版販売 発行

 川村慶子さんは1922年生まれ。戦中、若い日の結核療養の日々から現在の出来事まで綴っておられます。
 詩集を一読した印象は、記憶の中で時間の遠近法というのは意味がないのだということです。数十年前は昨日よりもずっとあざやかによみがえり、今というこの時を制しもします。今はただの今ではなく、長く深い記憶をはらんだ今であるということが、鮮やかに描かれています。読者である僕もまた、川村さんの記憶の森に迷い、今という時の不思議さに立ちすくむようです。