詩集「一九七三年ある日ある時に」 戸塚美波子 著
そこに潮騒があった
私は砂浜を歩き続ける 爽やかな風が頬をかすめる 久
しぶりにきた故郷の浜 だがこの浜ともとうぶんのお別
れだ 私はじき東京へ行くのだから あそこには精神の
自由がある 私は雑踏の中にまぎれこむ 大都会の群集
の中にアイヌがひとり仲間入りしても気にかける者はい
ない
この青い空の下で青い海をみていると なにもかも素晴
らしく思えてくる でもなぜか心は深く閉ざされている
この不透明はなんだろう 私はあのいやな町から逃げ出
そうとしている 現実から逃げようとしている私 それ
なのにどうしたというのか
私はどんどん歩き続けた
アイヌ そうだ私はアイヌ アイヌだものあの町にいて
も幸せになれそうもない バスに乗っても町を歩いても
デパートにはいっても駅に行っても私をみつめる目があ
る いやな目が おとなの目こどもの目 見るなバカに
するなふざけるな 見せ物じゃないんだ 私はいつも心
の中でそう叫んでいた そしてだれもいないどっかへ行
ってしまいたかった 私はひとりでいたかった アイヌ
の若い娘が家に閉じ籠っているのはけっして珍しくない
のだ
東京への夢はどこへ行ったのだろう どうにもやり切れ
ぬ思いがつのって目をつむる 闇のなかでなにかにつま
ずいてころびそうになった あわてて目をあける 流木
だ 足もとにころがっていた まわりにはそれが無数に
あっちにもこっちにもころがっていた なんとも悲しげ
だ 役立たなくなってどこからともなく流れついたかっ
こうだ
私がつまずいた流木はいまにも崩れおちそうにぶよぶよ
している 私はそれを蹴りたい衝動におそわれる なん
ともろいのだろう 音もたてずバラバラになって砂の上
に散乱する そのあまりのもろさに驚いた でも次の瞬
間 私の背筋を一線の冷気が走った このバラバラに崩
れ散った腐れ木 まるでいまの私にそっくりの流木
じぶんでじぶんを蹴とばしてしまったのだ
周囲の圧迫に負けて逃げる算段をたてている弱い人間
私だ この流木と同じなのだ 腐った心を持った人間だ
悔悟が私をしめつける いやだあんな物と同じだなんて
私はまだバラバラになりはしないこわれてはいない 私
は急に走り出す
この場から一時も早く離れたかった 動悸がして苦しい
砂に足をとられて前にのめった バカ休むんじゃない
走るんだ そんな意志の弱さでどうする 戦え戦うのだ
なんと なんと戦うのだ じぶん自身とそれから世間の
偏見とだ 私はまだ若い 若いのだやろうと思えばなん
だってできる 失敗しても取りかえすことだってできる
潮風がキューンと鼻をつく 見よこの海原をあの地平線
を どこまでも続いている 限界なぞあろうはずがない
都会の群集にまぎれこんで卑怯者になろうとしていた私
その私を否定する 現状に甘んじるな やはり東京へ行
こう逃避ではなく戦闘準備のために
そして北海道に帰ってこよう
潮騒だ潮騒が聞こえてきた その中から悲しく寂しくそ
して雄々しく散って逝った先祖の叫び声を聞いた と思
った 私はいつしか歩調を緩めていた 私はアイヌ し
かしだからといって恥じることはない そうだただひた
すらに歩き続けよう 未来は輝いているいや輝かせよう
潮騒が一段と高くなつた
一九七三年六月十四日
その日
町民を守るべき筈の 機動隊は
(毎度のことながら)
道庁と北電の手先となった
そのためだけの バカ力を出して
いとも気軽に
国民の一部であるピケ隊を
うむも言わせず
排除しつつあった
黙々と ―
あくまでも雇い主に忠実に
その裏で
へっぴり腰の北電の男達が
有珠の大地に クイを打ち込んだ
しゅんかん
大地は壮絶な悲鳴を上げた
男たちよ聞こえなかったか?
その唸りを ―
海は その大地の余りの
いたましさに
深い嘆きを憶え
怒りに わなないたというのに
御用電波
NHKのアナウンサーは
現地で ヒステリックに叫ぶ
「この発電所は 必要なのです
いま 北海道の電力は不足してるのです!」
何のための電力?
大企業? それともNHK?
道庁? 自衛隊の基地?ドーケイの?が
不足してるのかい
繰り返される歴史は
またも
非情な手段を使って姿を現わした
何の抵抗のすべも持ち得ない
大地に向って
資本家どもの
侵略者どもの
恥知らずの クイが ―
性懲りもなく
打ち込まれる
我らがモシリを
どこまで 破壊しようというのか
昔 流された血を
またもや 流させようと言うのか
許しはしないぞ
偽善者ども!
自然の神々も決して
許しはしないだろう
お前たちが
クイを打ち込んだ その時
闘いは 始まったのだ
安心するのは まだ早い
お前たちの
薄汚れた手から
大地を守るための 闘いならば
私は 死をもいとわない!
*詩集「一九七三年ある日ある時に」 戸塚美波子 著
発行 創映出版 札幌市北十条西四丁目こぴー屋こんとん内
*「遊撃」発行の長谷川修児さんから送っていただきました。
若く毛羽立った感じがありますが、それが刺激的で、言葉が突き刺さってくるような詩です。
*「…これも百十ページの小さな詩集だが、中身は濃い。シャモ(和人)のいまもつづくアイヌ差別の告発、
伊達火発建設におけるアイヌモシリ(アイヌの国)の破壊とウタリ(同胞)漁師への弾圧に対する怒り、
アイヌとして生きる決意と誇り、それらが鋭い感受性で受けとめられ、胸中で凝縮されて詩となったも
のである」(花崎皋平 哲学者)