あとがき
            2012年の仮歩道から



 あれから長い時間がたったような気がする。
 暗黙の土台が砂のように崩れて、ある日、中空にポツリ浮かんでいる自分自身を見出したとき。語る言葉を見失い、自分自身が分からなくなり、やがて自分であることをあきらめ、自分の無力を嘲り、言葉は悔しさを、どうしようもなくはらんでしまう。言葉がガレキのような沈黙を自分の中に見出し、あるいは自分自身が言葉のガレキに他ならないことを知ってから。あれからずっと、言葉は修復の途上にある。いや、修復の術もないまま、立ち尽くしている。読み取れないガレキの希望をかたわらにして。
 僕は今、2012年の仮歩道にいる。ここはなんの変哲もない場所で、ありふれた言葉が、ありふれた思いを抱きつつ、行き交っている。だがなにか言いようのないもの、言葉からはどうしてもこぼれてしまうものが確かにあり、それは交わされた言葉の間から、途切れた言葉の切っ先から滴り、流れ落ちている。それは言葉ではないから「非」としか言えないものだ。非日常で、非正規で、非合理で、非効率で、…、であるもの。
 東日本大震災があり、膨大な放射能汚染があり、アラブの春があり、ニューヨークの占拠があり、いままで見えなかったもの、隠されてきたもの、押さえ込まれてきたものが、村から街路からしみだし、流れ、溢れだし、あるいは殺到する様を、僕は見ている。膨大なガレキのただ中から、「非」であるものが「非」として「非」のままでつながり、新たな風景を生み出していく。僕は今、2012年の仮歩道にいる。あなたに手渡したい伝言があり、先行きの僕自身に残しておきたい伝言がある。
 この詩集は、土曜美術社から、エリア・ポエジア叢書の一冊として二〇〇九年に発行された詩集「ダンボールの空に」を柱に、この三年の間に書いた作品を付け加えて、編み直した。文庫として発行することを勧めていただいた文芸社のみなさまに厚くお礼を申し上げたい。

                     下前幸一