詩集「二十世紀に滞在」 福中都生子 著
はつゆめ
山坂町のたらたら道を
ゆっくりあるいていると
目の前を猫が一匹横切った
寅さんか?と立ちどまったときは
もう垣根の門口の
さざんかの花びらをすこしこぼして隠れてしまった
南田辺のわが家にむかう
ゆるい夜道を歩きながら
急に″初音″の声を空耳にとらえた
女の子は あかんぼうのころから泣き声さえもやさしい
まるで猫の仔のようにミャオミャオと泣く
私の耳が老いたのかしら
私の鼓膜がちぢんだのかしら
山坂町のたらたら道を
とろとろあるいていると
首のうしろで ストーンと
大きな夕陽が落ちた
″生まれてきてよかった と言うてやりたい
この町に住んでよかった と
この町で いい男にめぐりあった と
結婚したことも みんなみんな良かったと
言うてやりたいのに口ごもる″
七十年 生きぬいてきた足の裏でたちどまると
急に胸が苦しくなった
しゃがみこむ目の前で
垣根のさざんかがざわめき
花びらがあたまの上から降ってきた
ミャオ と仔猫のような
初孫のようなあまいなつかしい声がして
二千年前の風の手が
何万本もの風の指紋が
わたしの全身を抱きこんだ
※ 初音―初孫一九九九年九月二十一日誕生
二十世紀に滞在
おはよう ともいわないで
明けがたの渚にころがりでたわたし
フギャーといったか オギャーといったか
母の羊水から押しだされて
気がつくとそこは東京湾の渚だった
ごめんなさい ともいわないで
しつれいしますとも いわないで
芋虫みたいに這いまわり
よっこらしょ ともいわないで
二本の足で立ちあがり
こんにちは ともいわないで
ランドセル背負って戦前の小学生
″サイタ サイタ サクラガサイタ″
戦中の風に散らされた多くの若者たち
サクラのように向い風に散った恋人たち
戦後はコーヒーの香りとともにやってきた
碧眼紅毛の腰高の毛深い男たち
短足の大根足の胴長の腰のひくい女たち
ブルーマウンテンなんて高雅な香りに誘われて
高学歴 高収入にあこがれて
われも われもと とび乗った田吾作たちの
バスも 高級車も上機嫌の追い風に乗っていた
私は? といえば これも
高度経済成長政策とやらの政治バスに乗せられて
消費者は王様ですなんておだてられて
へんだナ ヘんだナ とつぶやきながら
戦後という追い風に追いまくられて今日まできた
気がつけば
さようなら ともいわないで
友らはみんな去ってゆく
世代の責任を果たしたような顔して
さらば さらばと 去ってゆく
へたりこんでいる七十代
至近弾を避けきれない八十代
未来はいつも闇
手探りのむこう側
一筋のあのあかりは
向い風の希望か
それとも
*はつゆめの、初孫を見守るやわらかな感受性が、二十世紀に滞在の、歴史的な遠近感覚によって、
しっかりと支えられているようです。
福中さんは、詩誌「陽」を発行され、また「21世紀への証言」を編集されるなど、活躍されています。