詩集「顎のぶつぶつ」
近藤久也 著
釣の夢の記憶
どこにいるのか
解らないんだ
陸(おか)の上で竿を握っているのか
鈍く光がさしこんでいる水の中で
息をひそめているのか
海底の泥にもぐりこんでいるのか
目や耳ってやつはどこにあるのか
つまり俺は
釣っている人なのか
釣られようとする魚なのか
震える竿先なのか
あるいは海の中の釣糸なのか
でも
総じて釣の夢なんだ
釣の夢はいつだって
おちつかず
どきどきしてるんだ
永遠に
釣る、あるいは釣られる寸前なのだが
その瞬間はついにこない
朝なのか昼なのか闇なのか
そんな事も解らない
ねえ、
もしかして
生まれる前って
こんなふうでなかった?
顎のぶつぶつ
畳の上にすわって
片膝を立て
その上に
顎をのせる
背骨のラインは
くっきりとしているが
なにか苦労じみてみえる
その姿勢で
新聞や本を読むのが好きである
私だけかと思っていたら
或る日
妻もそうだと告白する
(人はなかなか快楽を他言しないものだ)
さいさい顎を膝にのっけていると
そこの毛穴がぶつぶつと
隆起してくるものだ
そのぶつぶつを妻と時々
撫であったりする
ちゃぶ台をはさんで
私と妻は顎を膝にのせ
向かい合ってなにか文字を読んでいる
(私は原始の人の姿を想った)
正座や胡座では
そのままじっと残れぬが
この姿勢だと
そのまま何千年か後に
化石となって残れるような
妙な気分である
幸いこの姿勢には
正座や胡座といった呼び名も無い
だから
何千年か後に人が
私たちの化石を目にした時
これはきっと人類とはちがう生き物だ
けれど何か苦労じみて見える生き物だな
そんな感想を顎と背骨のあたりに
感じてくれぬものか
そんなふうにうまく騙せぬものか
顎のぶつぶつはもう消えていたとしても。
*この頃、夜釣りを殊に好んでいるという近藤さんの詩集です。
「海はあくまでニュートラルだ。全てが他人事で全ての個人を受け入れるが、けっして馴れ馴れしくしない。」
(あとがきより)
近藤さんの自ら自身の思いや暮らしや詩に対するある種の態度を表しているのかもしれません。
近藤さんは「ぶーわー」と題された個人誌も発行されています。