あの日は寒く 下前幸一
あの日は寒く 感情までもが毛羽立った 音のない都市の鳥肌を滑って 光景がたわんだ 一刻の猶予にすくみ あれから僕たちは 宙に浮かんでいる 乗客もろとも突入する機影 コックピットの、呟きのコーラン 自爆する信仰の内部に どのような確信があったのだろう 世界貿易センタービルの 聳え立つ、崩壊 グローバルな権威もろとも 炎上するペンタゴン あの日は寒く 感情までもが毛羽立った 音のない都市の鳥肌を滑って 光景が歪んだ なだれうつ叫喚 復讐から便乗へとすり返られていく ひしゃげた言論 被害者というオールマイティー 自由と民主主義の、無垢なるアメリカ という無垢なる信仰と 無垢なる、爆撃 一刻の猶予にすくみ あれから僕たちは 宙に浮かんでいる 崩れた市街の 蹂躙された暮らしと 避難民の着の身着のままを アメリカの戦略が哨戒する 機を見て旗を掲げる 浮き足立った戦争協力 どのような非対称と 目まいのする段差を 思いは渡らねばならないのだろう 世界を徘徊する金融資本と 薬のない子供たちとの 他者を認めない同盟軍の爆撃と 生きるための投石に 報道される戦況と 報道されえない苦しみと あの日は寒く 感情までもが毛羽立った 音のない都市の鳥肌を滑って 光景が砕けた 一刻の猶予にすくみ あれから僕たちは 宙に浮かんでいる 行き先も分からないまま 漂流している 思考停止のまま 立ちすくんでいる 名前のない中途に、吊るされている 希望へのヴィジョンを 見失っている 自らの歴史を裏切ったまま 合唱している 強い、他人の夢を見ている 迷い込んだ戦争ゲームのストーリーに 我を忘れている あの日は寒く 感情までもが毛羽立った 音のない都市の鳥肌を滑って 光景が壊れた * 荒地へ帰ろう ガレキへ帰ろう 埋もれた数千人の死が センタービルの廃墟で テロリストの神を白い目で見ている アメリカの正義はガレキの中へは届かない 無数の沈黙が武装した言葉をはじくのだ あらゆる饒舌は立ち止まり 自らを振り返らねばならない 確実に死者の身体は腐っていく その腐敗の速度で思考せよ 死の数量化は無意味である そのように死の政治化もまた無意味である 死は政治をはじくのだ ガレキへ帰ろう 両親を爆撃で失った孤児が 吹きさらしのキャンプで死を待っている 戦乱に奪われ尽くした アフガニスタンの村へ 信仰に望みを託さざるを得なかった人々の 原理主義の戒律の荒地へ 封鎖されたガザ 戦車隊に踏みにじられたガレキに 帰ろう 正義の正義による正義や 言論の言論による言論を踏み破り 帰ろう 錯綜する私たちのガレキへ はじけたバブルの後始末に 途方に暮れている 自らのガレキへ 希望のもてない現実の 砂のように味のない私たちの荒地へ 数量化され 換算され尽くした情景に 壊れた言葉を置くのだ 帰ろう ガレキの時へ 記憶が現在へと通底する 砕けた時のモザイクへ 君に僕が見えないように 僕にもまた君の姿は分からない いたずらな希望も 借り物の絶望も言いたくはない いたるところに走る段差と 絶望的な時差を 対話の不可能を 憲法第九条のように蚕食された 私たちの空虚を 荒地へ帰ろう ニューヨークのガレキへ カブールのガレキへ 難民キャンプのガレキへ 大震災のガレキへ 沖縄戦のガレキへ 記憶のガレキへ 風景のガレキへ 私たちのガレキへ 帰ろう