詩集「あの山越えて」 犬塚昭夫著
落葉林
よびかけられてふりかえったが落葉林 山頭火
どこへ行くのですか
うしろからよびかけられた
つかれていた
酒をのんでいた
死にたかった
どこだろうか
聞きたいのはおれだった
おれはどこへ行こうとしているのか
それなのにどこへ行くのですかと
うしろからよびかけられた
つかれていた
人生に
酒をのんでいた
飲まねば生きられないと思った
酒をのんで
しかし飲んでも生きられないと思っていた
死にたかった
雨がふっていた
ここはどこだろうか
おれは何をしたのか
体中に熱があった
風邪をひいていた
おれは唸っていた
体が痛かった
苦しかった
叫んでみた
どこだかわからないくらやみだった
歩いていると思っていた
歩いていた
村だったか
野だったか
山だったか
歩いても歩いても苦しかった
くらやみだった
死ぬしかないと思った
どこへ行くのですか
うしろからよびかけられた
こんなときに聞く奴があるか
聞きたいのはおれ自身なんだ
おれは歩くのをやめた
こんなときにおれをよびとめるのはだれか
つかれていた
酒を飲んでいた
人生は
くらやみを歩くことか
行乞も
詩も
おれの何なのだ
死にたかった
死ねば人生は明るくなるのだ
このくらやみからぬけられるのだ
おれはどこに向って歩いているのか
くらやみの中に死があるのか
どこへ行くのですか
うしろからよびかけられた
ふりかえった
おれは寝ていた
さくら
くぬぎ
けやき
かしわ
どの木も全葉を一枚残さず落していた
林なのか
山なのか
木の幹だけが立っていた
空にさしかわす枝が美しかった
しきつめた落葉の上に
おれは一人で立っていた
生きるのですよ
生きるのですよ
木の声がおれをみたしていた
*断腸文庫12 詩集「あの山越えて」 発行 異郷社 堺市今池町6-6-9
山頭火の俳句をテーマにして書かれた詩集です。
ズルズルとひきずっていくような詩行が、あてどない行乞の歩行感とよく見合っています。ときおりの繰り返しが単調さを救っています。
山頭火の行乞に自らの詩作を重ねようとする作者の姿勢がよくあらわされていると思います。