あとがき

 梅雨の、しとしとと降り続く雨に、かぼちゃの花が、鮮やかなたたずまいで、 咲いている。かと思うと、次に目にするときには、もう萎れている。かぼちゃ の花。  何かひどく切実なものが、僕の中を走っている。切実なものが、僕の中に芽 生え、育ち、うごめき、そして消えていく。それはもしかしたら「なごり」な のかも知れない。切実さというのは、とても抽象的なものだから、言葉はそれ をつかまえることができない。それは、エネルギーでも欲望でもない。そのよ うな「実体的」なものではない。それを言葉で追いかけては、取り逃がしてば かりいるのかも知れない。  ふと振りかえり、ここ何か月も言葉を発していないような気がして、ガクゼ ンとすることがある。もちろん日常の会話や仕事上の会話はいくらも重ねてい るのに、自分自身や相手の存在に触れるような言葉は何ひとつ発してはいない。 また求められてもいないような気がする。  言葉を軽蔑することは、自分を軽蔑すること、切実さを、そして、かぼちゃ の花を軽蔑することなのだけれども。

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