あとがき
ある日、ふと郵便受けを覗くと、散歩派の通信が投げ込まれている。郵便ではない、 直接配布だ。なんだか通信そのものにも、書かれた文章にも、生身の体温が残っている ような気がする。 先日、久しぶりにとどいたのは、杉山信夫さんの「壊れゆく風景」と題された手作り の小冊子。さっそく二つの風景を今回、紹介した。どのようにしてこんなことを調べた んだろう、というような知識に裏打ちされて、風景の、隠された顔のようなものがさら されていく。そして、僕たちは、思考の現場としての風景に、いあわせることになる。 散歩派とともに、昔よく一緒に遊んだ村上悦代さんからも、個人の詩通信が届き、今 号で紹介することができた。 昼休み、トラックの運転席で、これを書いている。焦燥が空転して、こげくさい臭い が漂っているような日々に、僕はいる。宙吊りの日々。つねに中途である、という方法。 選んだ方法や志が、どうしようもなく風化していく。僕たちは本当に、生き延びてい るのだろうか、とふと思う。 また。