あとがき
幼い頃、時間は、地面にはりついた日差しのようだった。それは いつまでも動かず、どこにもいかず、その永遠のような日向で、幼 い僕はいつまでも遊んだ。一年は、めまいがするよおうな彼方にあ った。 若い頃、10代、20代の頃、時間はらせんのように、一日と一 年を繰り返しつつ、確実に前方を指向していた。前方というものの 具体性、あるいは客観的な方位は人それぞれだろうけれども、それ は確実に前方だった。何らかの手触りで、前方というものが感じら れた頃。 今、僕の時間は、決して前方を指向してはいない。(もっとも、 仕事などの面で、そのふりをすることはあるが)時間のらせんはそ の前進性を失って、ただ繰り返し循環している。移動から定住へ、 とでも言ったらいいだろうか。それは円熟というものかもしれない し、老いというものかもしれない。 まっぴらごめんだ、と僕は思う。そして、この20年をリセット し、もう一度この20年の試行と錯誤を繰り返そうと思っている。 そんなことを願う、今日、この頃です。 では、また。