あとがき

 たとえば、今号で紹介した犬塚さんの詩を、詩ではなく、ひとつの主 張としてとらえたら、僕は反発すると思う。その「労働者」とはいった いどこにいるのですか、と。あるいは「労働者ではない人」とは誰のこ となのでしょうか、と。  たとえば、自自公のやりたい放題の政治に対して、僕たちは、それに 対して反対し、あるいは闘うための足場をすでに失っているのではない か。足場のない人は「自由」だ。ある人はあきらめ、ある人は関心を失 い、そしてある人は空しさを握りつぶしつつ、歯ぎしりして、反対する。  もちろん自自公の発散する体臭に似たガスはサリンよりも有害で、人 を窒息させる。しかしまた一方で、反対の論もまた、同じ場所でいつま でも空転しているという印象なのだ。  なんらかの「実」のあること、それはいったい何処にあるのだろう。 「インターネットな詩のために」はそんなことを考えながら書いた。砂 漠に戻りたいという欲求の傾きも同様のことかもしれない。なんらかの 「形」が取り出せれば、と思っています。                       じゃ、また。

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