帽子のこと
田中郁子
いもうとは帽子をかぶっています
ももいろのつばのふんわり垂れた帽子です
もう三年も逢っていませんが
その帽子ですぐにわかるのです
わたしたちは逢うたびに
三十三階でビーフカレーを食べるのです
テーブルにつくと
窓から空がみえる椅子にこしかけるのです
ちらっと空をみあげると
帽子の中の目もちらっとみあげるのです
わたしは低い声で
〈とてもよくにあっているわ〉と耳うちするのです
すると さっと消えてしまうのです
わたしは さらに低く
〈とてもよくにあっているわ〉と呼びかけるのです
すると さっとまいもどり
スプーンに手を伸ばしビーフカレーを口に運ぶのです
一日はこうして いっしょに口で味わい
かみしめることで充分なのです
血の回復が行われるのです
わたしたちは 何度も何度も空をみあげるのです
はかり知れない距離があるからほっとするのです
ところが いきなり背後で星を呪う声がしたのです
なぜか わたしも大声で呪ってしまったのです
あなたはうつむいてガラガラと星を吐きだし
〈おねえさんの帰る道が暮れてしまったわ〉
星の目をして 足もとを照らしてくれたのです
いつの時代も ことばの意味が一人で歩き
あなたは どこに住んでいるのでしょう
わたしたちは いつから姉妹なのでしょう
帽子のかぶり方について語り尽くせないまま
いつのまにか 時間がきてしまうのです
*詩誌「緑」5号より 発行 緑詩社 岡山県新見市高尾2479-5
*岡山県新見市で発行されている詩誌です。初めて送っていただきました。