ドアの光
フィリス・ホーゲ
訳 横川秀夫
オーリエンズでだったろうか、コベントリーでだったろうか
私たちが最後に過ごした古い家でのことだったけど
細長い楕円形の窓のついたドア。
わずかな面にかたむく、青い光、消えそうな光、は
その瞬間に、歴史の時間の中に消えさった
もともと、哀しみの井戸からはなにも掘ることはできない。
だから、そこにはなにもない。未成熟な森林地帯の
静かに渦巻く記憶の中の霧ではなく。
湖岸をなめるそよ風に吹かれて寄せるさざ波ではなく。
移ろいゆくたおやかな菫(すみれ)ではなく。
うつろな忍冬(すいかずら)の扉でもなかった。
この哀しみはどこにでも満ちていて。なぜだろう、と思うのだけれど、
それらは私たちがいまだ知らない
あの光、ライラック、うつつのようによぎる斜面 ― おもたさ。
古い家の中の
このまどろみのひとときこそ、素晴らしい
想いのひととき。私たちが渇望(こが)れていたもの。
まるで光り輝くドアを開くことができるみたいに、
中にはいりこんでゆく、黒バラ色の高天井の部屋
そして、高窓のゆれ動くガラスをとおして
違った角度から見ると、見つけられるのは、在り得べからざる
失われた年月、過ぎ去った太陽の光、こだまするチャイム、ゆらめく光
可能なもの。私たちには手が届かない。私たちのもの。
*『東西南北』52号より
フィリスさんの詩は横川さんの訳による本邦初公開です。次回の更新でももうすこし紹介したいと思っています。