遺稿「癌患詩集」   菊池章一 著

思いっきり

思いっきり 背筋をのばし 胸を張って たっぷりと息が吸いたいなあ 思いっきり ほおばって むしゃむしゃと食いたいなあ 思いっきり ごくりごくりと飲みたいなあ 思いっきり 背筋をのばし 胸を張り 口をあけて大きな声で さっぱりと歌いたいなあ 戦争中 パンにバターをこってり塗って 思いっきりぱくつきたいと思った バナナの皮をシュワーッシュワーッと剥いて 思いっきりほおばりたいと思った パンもバターもバナナも もう何年も見たことがなかった 息も出来ず歌も歌えなかった 今はパンもバターもバナナだって 腐るほどあるけれど だからと言って 自由かどうかはわからないけれど とにかく 私だけは戦争中だ

 わが難民たちに

私の身体各部よ 私の中の難民たちよ 痛い痛いと悲鳴を挙げるな 挙げてもいいがその前にやることをやれ 自分のパートを守れ 頭よ、頭皮を揉め 淋巴部を押えよ 胸よ、両手を拡げて張ってみよ 背中よ、深く息を吸ってみろ 吐いてみろ 肩よ、だるかったら振り回せ 背を丸めるな 食道よ、つまったら首をねじれ 顎を胸につけよ 口を大きく開けて空気を通せ 逆立ちでもでんぐり返しでも 何でもやってみろ 身体の全部よ まっすぐしゃんと立って足を挙げて歩け くたびれたら寝ろ 眠れ 私の中の難民たちよ

*遺稿「癌患詩集」 発行:新日本文学会 東京都中野区東中野1-41-5

 2001年 5月28日 食道癌の宣告を受ける。
      10月 1日 『癌患詩集』私家版発行。
      10月30日 『第二癌患詩集』私家版発行。
      12月27日 午前三時五ニ分死去。

「菊池章一さんの闘病生活は、痛苦をねじ伏せ、意識を思考力へと集中させての 文筆活動でした。その壮絶な文学への執念である遺稿詩集『癌患詩集』を、「菊池章一さんを 偲ぶ会」の日に実らせることができました」(編集 森安二三子)

 同じ新日本文学会の所属ではあるけれど、ついに一面識もないままでした。
 厳しい闘病の中で、精神を病に溺れさせることなくまっすぐに立てて詩作を続けられたのは 尊敬に値します。
 平易な言葉の詩ですが、学ぶことは多い。

戻る

ホームページ