詩集「吐き出して 1994-1999」                       ハジメ・オバタ著

失望

ふざけるんじゃあない! 何もかもがふざけている しかし 待てよ あれは何だ! 部屋の隅でとぐろを巻いているのは いつか見た夢の残骸か それとも 「明日もお元気にお暮らしください」 などと言ってふざける真夜中12時59分48秒の妖精か それとも 河豚(ふぐ)の「上出来」を送ってくれるかもしれない友からの 最後のメッセージだろうか そんなはずはない しかし 何だか妙な気分が頭の上でワルツを踊っている くり返し くり返し 消えては現れ 現れては消え 本当に 一体あのとぐろは何だ いや 何だったんだろうか?

 「ドウシマシタカ?」

 「ドウシマシタカ?」遠い記憶の片隅 あれはひどく暑い日だった メキシコのある町で 突然言葉を失ったぼくは リュックを背負ったまま 気がつくと汗をびっしょりかいて ひ とりポツンと公園に立っていた まわりで人は盛んに動いていたが 喧騒はどこか耳の近く でとぎれ なにもかもが無声映画のワンシーンのように目の前をゆっくりと通り過ぎていっ た すべての感情を失ったぼくは ちょうどそのとき実は透明人間に変身しようとしていた 指の先から小刻みに  「ドウシマシタカ?」この聞き慣れた短い日本語が 突然ある方向からまるで天の啓示の ように飛んできた 透明人間から生身の人間に返るためのキーワード ぼくの渇ききった全 神経はこの言葉に串刺しにされた そして、最後の力をふりしぼり あえぎながら路上へと 突進した!  「ドウシマシタカ?」視線の先端にひとりの青年がいた 自家用車の運転席からぼくを見 上げ にこやかにもう一度たずねた 彼は日本にも何年か住んだことがあるという 韓国の 青年だった  「ドウシマシタカ?」今でもときどきこの言葉が聞こえてくる もう彼の表情を忘れてし まったけれど その隣りにすわっていた日本人三世の奥さんと赤ん坊の顔も覚えてはいない けれど ここはメキシコではなく生まれ育った日本だけれど    「ドウシマシタカ?」突然 あのときと同じシーンが目の前に甦る 今ぼくは この雑踏 の中でまた透明人間に変身しようとしている あのときと同じように するとふたたび 誰 かが話しかけてくる あのときとは違う乾いた調子で  「ドウシマシタカ?」フッと我に返る 目を上げると そこには点滅する信号が ぼくは 怪しい足どりで 突然交差点に向かって突進する!

*著者のハジメ・オバタさんは、詩誌「穂」をやっておられ、最近、詩の交換をしていただくように なりました。
 詩集のエピローグより
 「ここに吐き出した詩の中には、完成しないままに放置してあるものもたくさんある はずだし、人間で言えば未熟児にあたるものもたくさんあるような気がする。どの詩がそうなのか、 今となってはそのことすら意味のない問いのように思える。すべては過ぎ去ったことである。」
 250ページに80編くらいの詩が詰めこまれて、あります。僕は、その量と情熱に、思わず 目まいを起こしそうになりました。ともあれ、この言葉のガレキ(失礼!)の上に、著者がこれから、 どのような言葉を立てようとされるのか、注目したいと思います。

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