香港人は水煙草を抱えていた(昆明)

 昆明、昆湖飯店のドミトリーに足を踏み入れたとき、彼は太い竹 製の水煙草を抱えながら、髭面の一瞥を送ってよこしたのだった。 部屋には他に人はいず、薄暗い部屋の片隅で、彼の姿はまるでアヘ ンにまどろむ中国人のようにも思えた。どのような言葉をかけてい いのか分からないままに、僕は空きベッドに腰を下ろした。  そのホテルには香港人の旅行者も多く、若者らしい傍若無人ぶり を発揮しながら、旅を楽しんでいるようだったけれども、彼は一人 部屋を離れず、いつも水煙草を抱えて、椅子に座りこんでいた。片 言の会話で中国の印象を尋ねたとき、「ダーティー」とひと言彼は 答えた。すでにひと通りの旅を終え、かといって旅を締めくくるこ ともないままに、宙ぶらりんの時にたたずんでいたのだ。まるで自 らの帰属、いわば自分が今いる場所というものにとまどい、苛立っ ているかのように。  夜、他の住人たちのために明かりを落とした部屋に、水煙草のコ ポコポという音だけが響いた。その音を傍らに、ビールを飲みなが ら、乏しい明かりを頼りに、僕はノートにペンをすべらせた。まる で遠いカプセルの中に過ごしたような数夜。  それから、僕は昆明をあとにし、大理へと旅立った。悪戦苦闘の 旅を終えて、再び昆明に戻ってきたとき、まるで懐かしい故郷に戻 ってきたような気がしたものだ。  昆湖飯店の懐かしいドミトリーに再び足を踏み入れたとき、彼は いた! 髭面を懐かしそうにほころばせて、僕を迎えた。そして、 ポリ製の水筒を差し出したのだ。それは僕が日本から持ってきたお もちゃのような水筒で、あまり役には立たないので、大理に立つ日 に処分するつもりで置いていった物だった。彼はそれを忘れ物とし て取っておいてくれたのだった。  水筒を、確かにというように手渡した後、彼は僕をベランダに引 っ張っていった。見ると、そこには鳥かごと小鳥。親しい友人を紹 介するように彼は小鳥を僕に紹介した。まるでひとりぼっちの中国 で、彼がただ一つ見つけることができたつながりのようだった。僕 は指先で軽く小鳥に挨拶を送った。  かごの中の鳥、と僕は心で呟いてみた。それは何のたとえでも解 釈でもない。その時、どこか僕の中でうずいた、言いようのない痛 切な感覚のことだ。  アヘン戦争から一世紀半。一九九七年は目の前だった。

*雲遊天下97年冬号より 発行ビレッジプレス 大阪府吹田市江坂町5−14−7−403

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