詩集「言葉の岸」
細見和之 著
言葉の岸
……
*
ああ、あのときぼくは、年長の知人と行きつけの居酒屋で呑んでいた。
マスターが伊勢の神島出身で、
その店のカウンターにはいつも潮の香りがしていた。
(二、三泊して、釣り舟を出して ― という計画は繰り返し頓挫してしまったが)
ぼくらはそこで、共通の知人の奥さんの病状を話題にしていたのだった
「いよいよらしいよ」などと、まるでよくあるテレビ・ドラマのひと駒みたいに。
(その知人とは、事情があって、ぼくらはふたりとも仲たがいしていた。
だから、そのときのぼくらの会話には、よけい苦いものが混じっていた)
酔って帰ると
留守番電話の赤いランプが点滅していた.
吹き込まれていたのは通夜と告別式の案内だった。
「いよいよ」などと言っていた
その「いよいよ」に
ぼくらのほろ酔いかげんの背中は
みごとに追い越されていた。
あの「いよいよ」の速度
そして
ぼくらふたりをその知人と仲たがいさせた
複雑にして単純な、あの「事情」というものの速度……。
*
……
*
強制ではない「改宗」とはなんだろう。ひとつの信仰が、
ある心のなかに強制的にではなく浸透してゆく。そこに
は、どんな時間が流れているのだろう。それは、長い時
間をかけて、しかし最後にはいつの間にか、ぼくらがあ
る言語を獲得しているような具合なのだろうか。ポリグ
ロット(多言語使用者)のある友人は、どこかの「外国」
で、その言語で思考し、その言語で夢見ていることに、
あるときふと気づくと言うのだが ― 。あるいは、信仰
が心に浸透するのではなく、むしろ心が信仰の場に静か
に入ってゆくのだろうか。しかし、そこにもしかるべき
「時間」と「速度」はあるはずなのだ。
*
ところで、行きつけの居酒屋で「いよいよ」といっていたあの年長の知人
それが今度は、二年後に脳梗塞で倒れたのだった。
やはり、その潮の香りのするカウンターでふたりで呑んだ三日後に。
(釣り舟の話はこれで永久に消えた、とぼくは思った……)
ぼくが病院に駆けつけたのは二週間後。
一命をとりとめたその知人は、いまリハビリのさなかにある
― というのは実は伝聞で
ぼくはその後、ほとんど彼のもとを訪ねていない。
酷薄なことだ。
たぶんぼくは恐いのだ
その知人のたましいの速度に触れるのが。
*
同じ時間を生きていて
ほんの少し速度をちがえる。
それだけで
ぼくらはたくさんのたましいを
黙殺することができる。
*
評論家のパン・ミンホさんとは、ぼくは東京で公開の対
談をした。パン・ミンホさんが黄芝雨という詩人の作品
とイメージをスライドで紹介し、ぼくがそこから受ける
印象を差し挟んでいった。「から、基地、かすみ草、五
月、市外バス、白い」 ― 文法から逸脱した、そんな作
品のタイトルが、ぼくにはパウル・ツェラーンの作品の
ようにまっすぐに届いた。あの光州事件の惨劇から出発
したという詩人。そして、孤独で寡黙な表現に傾斜しつ
つあるという詩人。パン・ミンホさんが読みあげるハン
グルの文字面、そしてリエゾンするその響きが、ぼくの
たましいに浸透してゆく時間。
*
あのとき対面していた、パン・ミンホさんとぼくとの距
離(記念にもらったキム・ガァンソクというシンガー・
ソングライターのCDを、あれからぼくはずっと聴いて
いる。この素晴らしいシンガーは三〇歳で自殺したのだ
という)。言葉へのフェティッシュなぼくの欲望。まる
で信仰を獲得するように、ぼくはひとつの言語を習得し
たいのかもしれない。
*
イディッシュとハングル
という言葉の半島。
燃え落ちる夕日のむこう
衆人のたましいの速度で
いま文字がシーツのように洗われている海の岸辺……。
*詩集「言葉の岸」
発行 思潮社 東京都新宿区市谷砂土原町3-15
*長編詩「言葉の岸」は、たましい、時間、速度、言葉をめぐる断章から構成された詩です。
本当はその一部分だけを紹介しても意味はないのかもしれないけれども、あえて最後の部分を
紹介しました。年長の友人というのは、大阪文学学校、新日本文学会の高村三郎さんで、他にも
なじみのある名前が登場して、作者と時間と思いを共有しているような気がしました。