詩集「ときどきさよならがいいたくなる」
ほそたにしずこ著
WATASI 1995
レモンの切れはしとか
忘れてしまった電話番号とか
18才のわたしとか
夢のなかで友達の言った事とか
それから、それから
まがりかど。
夜の雪のなかで
見えないよね、わたし
車のライトとか
汚れた上着とか
真夜中のカウボーイ
あなた、今元気ですか。
恥ずかしいくらい
網タイツなわたし
タイツの網からはみでる
あいまいな認識たちを
ムーンフェイスの時が
のぞきこむ。
かかしたちは
どこへいった。
もう、すでに忘れられていたものたちは、
海にいるのは、
胸騒ぎ
だけど、コルトレーン 1968
重い赤に息がつまりそうになって
急いでトイレにかけ込んだのです。
列車はあいにくと行ってしまった後で
のどにはこぶしほどの血のかたまりが
温かく、やわらかく、つまったまま出て来そうにないんです。
少し足を入れると、そこは血の海で
子供の眼が二つ核のように輝いている胎盤近くの
淋しい踏切だったのです。
よせてはかえす血の波に
今にもとろけそうなお母さんが
おそいかかって食べてしまったのでしょうか。
夢のビスケットはマイハウスの六畳と四畳半のように
少ししめって
赤外線こたつの中にひっぱり込まれ
新聞紙で頭をくるまれて
夜光虫がパチンコ屋のネオンのように
ざわざわ光っていた。
いつか来た道を引き返すと
こうもりが二、三匹飛びまわって
わたし、まな板の上でとってもいい気持ちで
待っていたのに
雨が少し降っただけで終わってしまって
あとにはカビ臭い親子生活が始まった。
飛込み自殺の血で街は今夜もまっ赤なのに、
わからないの!
列車はもう行ってしまったのよ
見えない海への唄でいっぱいになって、
はち切れそうな水色で
地上にいる、わたしたちは
ジャズ喫茶のトイレにかけ込んで
今日も天使のように血を吐いている。
1996年11月号より
戻る
ホームページ