詩集「報告」 大橋晴夫 著
記憶のなかで
やけあとが
むやみとあかるかったのは
ツベルクリンがあったからだろう
ビーシージーのおかげかもしれぬ
日本脳炎とか
破傷風とかのこわさは教えられたが
ドロまみれのぼくらには
有刺鉄線の
カギザキだけが気がかりだった
小児マヒはまだだったし
サリドマイドもミナマタ病も
川崎病も自閉症も
ぜんそく持ちの子供すら
クラスにはいなかった
三年生のときだ
特殊学級とか
促進学級とかよばれたクラスができて
ぼくたちの先生は
同じ校舎の一角の
たたみのある教室へ移っていった
「雨にぬれると髪の毛がぬける」
あれはたしか六年生のときだ
いつのまにか
うつむいて歩きはじめたためだろう
がらんとした空が
ぎんやんまを追いかけた夕やけのそらが
記憶のなかでむやみとまぶしい
あかいはら
夏の終りに
はらふくらませ
重みに耐えかねている一匹がいる
ひとさしゆびとおやゆびとの腹で
つまむことさえ可能なはどに
肥大しているあかいはら
その一匹を
モルタルの壁に
鉄砲づきのまねをして
おしつぶす
学内での破壊行為は
一切これを認めない
教室名ではり出された宣言に
異議ありとしたためだろう
監禁されなぐられたりもした私だった
投石でガラスをわることぐらい
破壊行為にあたらない
教室がたりないというのに
まだ使える低温研や触媒研を
こわしているのは当局ではないか
幼なすぎたのだ
とりこわさねばならぬものを
そのままにしてしまったぼくたちだった
正門を入った左手に
こんもりとしたしげみがある
あの木立のかげの
鉄製のトビラのレンガづくり
ゴシンエイが収められていたその場所を
ぼくたちは無関心で通りすぎた
ものをいうと
三派革マルとよばれた時代
まるで鬼畜米英だな
学童疎開を知る教師たちのことばだった
ぼくたちの夏はすぎ
夏の終りに一匹の蚊が
あかくはらふくらませて飛んでいる
肥大したはらがほおをなぜる
*詩集「報告」 発行 詩の村出版会 札幌市豊平区平岸2-4-1
*「昭和」の断末の日々のことを思い出します。あのとき「昭和」は億満の記憶を
総括し、道連れにしようとしたのかもしれません。私たちの記憶は今も、確かに
生きているだろうか。