癒されて
わしずえいこ
施設に入った
金ばあちゃんは昨夜も眠れなかった
キムチを漬けた一抱えもする金だらい
手塩にかけた味噌がかめに半分以上
まだ新しいチマチョゴリ
買ったばかりの扇風機
わたしが死んだらどうなるのだろう
自分の手足の痛みのことより
長屋に残してきた物のゆくすえばかり
こころが休まらなければ身体も休まらない
とはおもうけど
ではわたしがいただきます
とも言えないので
ただただあいづちうって聞くばかり
何にでも使えるおいしい味噌
白菜のキムチは大きい金だらいで作るよ
スーパーや焼肉屋へ持っていく
もち米でつくった水飴もよく売れた
夜昼なしで六人の子を一人で大きくした
朝鮮人でも日本人でもいい人はいる
という金ばあちゃんの戦中戦後は身体ひとつ
の体当たりの物語
ただ聞くばかりのわたしも笑ったり泣いたり
毎週訪ねるわたしはただ聞いてばかり
泣いたり笑ったりして
気がつくと
わたしのなかのからまったもの とけていた
おかあちゃんが「よしゃれ〃」と言ってく
れれば金が無くても勇気がでるよ
血のつながらない息子が今でも言うって
うん、わたしも!
*「くれっしぇんど」52号 清水市二の丸町6-44、高橋気付
*筆者の癒されるのがよく伝わってきます。それは、金ばあちゃんの年輪、その確かさ、
それゆえの包容力のためでしょうか。しかし、大切なことは、二人の関係は決して磐石のものではないという
ことです。そこに兆すもの、ことが、それをどう見るかということが、大切だという気がします。