文集「人生途中下車あるいはクモの思想」
たなかよしゆき 著
人生途中下車あるいはクモの思想
一九九三年。この一年、わたしはフリーターといおうか、あるいは浪人と
いおうか、あるいは《企業戦士脱落者》といおうか、呼び名はなんと呼ばれ
てもいいのだが、発掘の仕事をしていた。九二年の暮れに《考古学発掘調査
作業員》の広告を目にし応募したところ、かんたんにパスし、藤原京周辺の
遺跡現場で、あるときはゴム長、あるとはき地下足袋の姿で、スコップで土
を掘り、ジョレンで土を掻き、ガリ(両鎌)で土を削りして、土と戦っていた。
一九九二年、四二才。あしかけ二十年勤めた出版販売会社を退職。とらば
ーゆとか転職とか、そんなかっこうのいいものではなく、《企業戦士》とし
ての役割に疲れてしまったためであった。情報洪水、出版物流戦争に適応で
きなくなり、脱落したというのがほんとうのところだったろう。他人は、よ
く決心がつきましたねとか、もったいないことをしたというが、わたしとし
てはそうは思っていない。(家族としては、こんな脱落男と一蓮托生の身と
なって迷惑だったろうが、これも何かの縁、あるいは運命と諦めてもらうし
かない)負け惜しみでもなんでもなく、惜しいという気持ちは少しもない。
このすうねん、わたしの内部には思想というとおおげさだが、こんなおも
いが少しずつ形成されてきていた。どんなおもいかというと、人は鳥や獣や
虫と同じ、苦しんだり歓んだりして、空に翔び、地に這えばいいというおも
い、簡素なすがたで生きていさえすればいい、他には何もいらないというお
もい。一瞬一瞬に生が輝いていたらそれでいいというおもい。そんなおもい
が腹の底に沈んでいて、ときどき生が不安定になると露出してわたしを支え
た。こんなふうにいえば、かっこうがよすぎるかもしれない。
《土方殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればよい》発掘の仕事も土方
と同じである。日給六千円。そのほかにはなんの保証もない。家族の生を支
えることに悩まなかったといえば、嘘になるだろう。ただ、一年や二年はし
のぐだけの貯えがあったので、仕事さえしていれば、こころは健康であった。
九三年は雨が多かった。雨の日や休みの日に何をしていたかといえば、山野
河川を跋渉し、自然観察。あるいは家でものを書く。あるいは図書館で仏典
をうつす。あるいは畠で野菜や土とあそんでもらう。そんな組み合わせの遊
び感覚で、一年が瞬く間に過ぎてしまった。何という贅沢な一年であったろ
うか。悩んだことや虚しいおもいにとらわれたこともふくめて―。
初夏の橿原市新賀町の発掘現場での小さな事件。耳成山が間近かにみえる
現場は大きかった。プレハブ小屋までいって休憩するのが時間のロスなので、
いつも柿若葉の木蔭で休息をとっていた。ある日、梢にジョロウグモが円網
を張っているのに気がついた。金いろの美しいクモ。何かをひたすら待ちつ
づけているクモ。ふっと《クモの思想》という言葉が浮かんだ。執拗に粘り
強く、くずおれることなく、生の歓びを待つ思想。わたしも、とおもった。
*文集「人生途中下車あるいはクモの思想」 発行:文文舎 奈良県香芝市田尻430-4
*僕たちはいつも、自然を追い越そうとする。自然よりも速く、遠くへ行こうとする。
あるいは逆に、変化する自然よりもゆっくりと、不変であることを求める。自分自身に
対して、自然よりも豊かな意味を求め、自然よりも単純な価値を生きようとする。
僕たちはいつもズレている。自然と摩擦をすることによって、自らの存在を
確かめようとするかのように。そして、僕たちは自然を認識する。あたかも自然の
外に立つもののように。
だが、本当は、僕たちが見ているのは、自然そのものではないのかもしれない。
自然と僕たちの間に横たわるスキマを、僕たちは見ているのかもしれない。僕たちは、
スキマを自然そのものと認識し、スキマの手触りを、自らの存在の手触りとしている
のかもしれない。
だから僕たちは、いつまでもどこへもたどり着けないのかもしれない。
《クモの思想》は語らない。たぶん、語ったとたんにそれはズレてしまい、
スキマを生むからだ。だから、たなかよしゆきさんは、ただ淡々と山歩きをつづるのかも
しれない。