カトマンズの「目」
下前幸一
雨だれを数えている
九月の雨の日
とどかない思いと
行き過ぎた計画
世界は薄日をまとっている
カトマンズの「目」は遠く
降りしきる雨に濡れながら
摩擦のない対話に
僕たちは浮かぶ
「目」よ
僕たちは遠いところ
遠いここにいる
プラスチックの戒律と
首をくくった太陽と
自らへの焦燥に焼けた民族
断層の軋みに崩れた設計
もたれあって溶けていく平成の現実と
囲い込みあった党首選の虚構
底のない不安と不確かさが行き交う場所に
自分という役割のモザイク
抽象的な日々の疲労にまとわれて
九月の雨の日
まなざしの届かない場所に佇みながら
僕は「目」のことを考えている
ようやく降り止んだ午後
カトマンズの濡れたたたずまいを抜けて
ヴィシェヌマティ河を越えて
僕たちはスワヤンブナート寺院への石段を上っていった
見晴るかすまなざしを投げかける
スワヤンブナート寺院の「目」
一心に五体投地を繰り返す信者と
赤と黒の袈裟に身を包んだ僧たちの読経
汚れたサリーをまとった女が歩道に座り込んで
痩せたとうもろこしを焼いていた
ぬかるみの泥道で下校の子供たちが小鳥のように跳ねていた
チベット人のおばさんが木陰でお土産物の編物をしていた
僕たちはボダナート寺院前のバス停に降り立ち
「目」の方へと一歩を踏み出す
チベット難民の来し方
行く末に、静かに寄り添っている「目」
ある意味では僕たちは幾度も断層を往来したのだ
僕たちという現実と触りきれないカトマンズを
黒い排気ガスを撒き散らしながら
走っていく三輪の乗合タクシーに身を寄せて
雨の旧王宮、ダルバール広場に待ち構える
物売りや物乞いや自称案内人たちの声にさらされながら
ハエが飛び交うチャイ屋のテーブルにもたれるとき
僕たちは具体的なものの質量に圧倒されていた
僕たちはパシュパティナート寺院への参道にいる
赤いサリーをまとった女たちの洪水に溺れるように
むせ返る暑さの中でサモサをほおばったのだ
人々のざわめきや蛇使いや大道芸の声が背後でうごめいていた
その夕刻、腹痛と発熱に君は襲われ
ホテルのベッドに寝込んだ
夢とうつつの境目で
君はカトマンズの「目」を見たのだ
深く静かなまなざしを注ぎながら
「目」はきみに言う
私を拝み
私にあなたの目を開きなさい
目覚めれば、あなたはすでに癒えている
君は微かな余熱に浮かんだ
まばゆい光の情景のただ中へ
ブダニールカンタ村の坂道を
僕たちは登っていった
ヴィシュヌ神の一千年の寝姿を
乱れて踊る仮面の女と
小楽隊の音楽
もしも道に迷うことがあったら
「寂しさ」の方へ向かいなさい
僕は自由のことを考えている
九月の雨の日
まなざしの届かない場所に佇みながら
*『新日本文学』1999年12月号「詩特集・現代詩はこれでいいのか」より